大抵いつも、撮った写真はMacのPhotoっていう写真のオーガナイザーアプリに入れてしまう。とてもアバウトなカテゴリー(Gus、庭、畑、食、とか)を作ってあるので、Drag & Dropでまとめて移動する。
そうしておくと、後で見返したときにカテゴリー内でも、Photoアプリ全体内でも、年別に写真を見返したり探したりできる。
スマホでも簡単に写真を取れる時代になってしまい、デジタル写真の数がものすごい。なので大雑把にでも分けてこのアプリの中に入れておくだけで助かる。自分で撮った写真ファイルの数に圧倒されることってあるよね?デスクトップが写真アイコンでいっぱいだったり、スマホのPhotoがいっぱいで削除する作業にぞっとしたり。
ま、それはさておき。
先日、そういうDrag &Drop作業をしていたときに、10年〜もっと前の写真が目に入った。
↑↑の一枚は、野菜を育ててみようかなと思った年の夏。畑ボックスよりもその周りの荒れ果てた様子が面白い。
相方とオレゴン州に行ったとき、Gusを連れてカリフォルニアまで行ったとき、2人と一匹でトレールを歩いたとき、近くの公園でGusのボール投げをしていたとき、散歩道の風景、足元の野草たち。
今より若かったから、Gusがいたから、旅先だったから、という理由ではなく、写真につまった「とき」が光っているように見えた。自分でも少し驚いたほど。
そういう写真を撮ってきたそれぞれの「とき」が、100%ハッピーで完璧に理想だったわけではない。
それぞれの「とき」に、大小あれ、何か問題もあったし「こうだったらいいのになぁ」っていう願いや、「なんでこんなふうなわけ?」ってう不満だってあった。
それでね、ふと思った。
「今」がキラキラなんじゃないかなぁって。
「今も」キラキラなんだろうなぁって。
「今」のど真ん中にいると、毎日のするべきことや大変なこと、不満や心配事がその「とき」を牛耳ってしまうような気がするけれど、実は今もキラキラしているんじゃないかなぁっていう気がしてきた。
そんなことをふと思ったので、チューイと歩きながらとか、台所で皿洗いをしているときとか、ゴミを外に出しているときなんかにも、ながらながらに「今、キラキラしてるんかなぁ~」って思い浮かべる。
するとなんだか、キラキラしている気がしてくる。笑。
そんなもん、かな。
明日は、Summer Solstice。ソルスティス。好きな響きだ。