おすすめのポッドキャストってありますか?

私は最近、以前に友だちにすすめてもらった「となりの雑談」というのを自転車通勤のときに聞いている。これが楽しい。コラムニストの「ジェーン・スー」さんと雑談のひと「桜林直子(さくちゃん)」さんが15分ほどおしゃべりする、というもの。短いしすごく気軽に聞ける。イントロでも「喫茶店で隣りに座った人の話が耳に入ってきたなぁ、という感じで聞いて下さい」って言ってるんだけど、その通り。カフェやバスなどの公共の場で、ふと聞こえてきた会話みたい。仰々しくもなく、聞いていて思わず「そうそう、そうなんよね~。わかる~。」って呟いてしまう。
新しいものから遡って聞いたりしているんだけど、どのエピソードだかで、こんなのがあった。
ひとりでいることが全く苦ではなく、大好きだっていうスーさんが、お金が有り余るほどあって問題がないとしたらどんな風に暮らすか、というトピックで「引きこもる」って答えていた。笑。さくちゃんは、それは嫌だと言っていたけれど、スーさんは、「戦争をなくすことはできないけれど、お金の必要なひとたちのサポートをして(だったと思う)、自分はというと、ひとりで全然平気だし、大型犬2頭と引きこもって暮らす」って。面白い。
私も「ひとり遊び」はかなり得意だ。ひとりで庭仕事をしたりチューイと散歩したり、自転車でふら~っと走り回ったり。あまり「寂しい」と感じない。お金がそんなにもあるのなら、まず家族や友だちのローンを支払ったり、もっともっとお金があるなら、世界のアニマルシェルターや国立公園の基金に寄付したいし、外国人が買い取って開拓しようとしている日本の各地の山や土地を丸ごと買い取ってそのままにしておきたい。あぁ、どんどんと欲が出てくる。笑。
でも、どれだけお金があっても、多分、程よい自然に囲まれて動物と暮らせたら幸せだろうなぁ。今は、チューイだけだけれど、多頭飼いできたらいいなぁとか。
話がそれてしまった。
そのスーさんの話の中で、大勢が集まるパーティーって楽しいけれど家に帰りたくなるんだよね、みたいなことも言っていた。スーさんのお父さんが全くその通りのひとだったんだって。親戚が集まって食事をしてワイワイ楽しんでいる真っ最中に「俺は帰る」と言って帰ってしまったり、何も言わずに消えちゃったり。笑。それは、お父さんがその場が「嫌いだから、嫌だから」ではなかったし「不機嫌になって去る」でもなかったんだって。ただ、帰る、といってその場を突然去ってしまう。
これね、わたし、すっごいわかる!!
私もある!
嫌だからじゃなくて、突然、「あぁもうお腹いっぱい。ほなっ!」っていう感じ。飽和状態になっちゃうというか、スーさんのお父さんと同じで、ある一点に達すると、もう「人の話も上の空」になって右から左に抜けてしまうし目が泳ぎだしたりする(←自覚している)。笑
北米ではファミリーパーティや友人たちが集まってのディナーがやたらとある。今はもうそういうのを計画することもないし、誘われることもない。コロナの後は全くゼロになった。これも、私は全然、寂しいとは思わない。正直、カナダに来た当初は「パーティ」という集いに行くとめちゃくちゃ疲れていた。英語で会話にうまく入れない、人が話しているのにそのひとよりも大きな声で話し始めるひとが苦手(←これもオッケーでペナルティ無し)、どうでもいいようなスモールトークが苦手、宗教と政治の話は苦手、、、とにかく苦手要素が多すぎて疲れていたんだと思う。そもそも、日本語でも、私はひとの話を聞いている方が楽しいし幸せだし。
でもそういうパーティでは必ず、ひとりふたり「ひとを惹き寄せる」タイプのひとがいるんよね。なぜか、そのひとの周りにはひとが集まる。会話上手というだけでなく、なにか発するものがあって。そんな様子を遠目に見ているのも私。笑 昔は「あんなふうに大勢の中で楽しく会話をつなげていけるのってステキだなぁ」という憧れもあった。
また、話がそれた。

とにかく。
ひとりで過ごす時間も大好きで、ひとりで放っておかれても苦ではないけれど、大勢のひとたちの話を聞いたり少し離れたところから眺めているのも好きだ。大勢が集まる場所でのソーシャライズは、ある一点を超えると「ぱちっ」とスイッチがOFFになる。OFFになるとスーさんのお父さんと同じ様に「もう帰ろう」と、自分の「巣」に戻りたくなる。
スーさんの話を聞いて、自分と全く同じ風に感じるひとがいるんだ!と少し驚いたのでした。