気持ちも空も晴れ。

ひとつ前のつらつらと書いてしまったことに、温かいメッセージをたくさんありがとうございました♡

「そうなんよねぇ、その気持ちわかる!」とか「こんな風にしてみたらどうかな」って言ってもらったり、読んだよって知らせてもらっただけで、メキメキと元気が出てすかーっっと青空が広がったような気分になりましたっ。

何なんでしょうね。気持ちがすっきりすると、見える世界もぱ〜〜っと明るくなるようで。ただ、晴れていたからというわけではなく。こういうことを繰り返していくものなのかな。

気がついたらもう三月も半分が過ぎてしまい、数日したら春分!なんということ!春分過ぎたら日の長さがどんどん長くなっていく!

見て。チューイの嬉しそうな顔。

春になるときっと、地面からもふつふつと新しい季節の匂いがあふれるんじゃないかな。チューイも、他のワンコたちも、いつにも増して「くん活」に忙しい。そして、Gusもそうだったように、静かにくんくんしていて突然ぱちっとスイッチONになって「ズーミー爆走」する。

その様子↓↓ すんごい勢いで走るもんだから、そのまま向こうの海まですっ飛んでいきそうで、大声で名前を呼んでしまった。怖いわ〜、チューイ。高さの感覚皆無なので。

 

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チューイみたいに、ひとも我を忘れてズーミーしてみるといいのかも。足が絡まってずっこけるのだろうけれど、転がって笑って、それも楽しいかもしれない。

この日の午後、簡易グリーンハウスのビニールを引っ張り出してきて、骨組みに被せた。

直射日光と風にさらされ、かなりぼろぼろになっているビニール。入口用のチャックは壊れている。大きな風の度に今年は何回ふっとばされることだろう。今年いっぱいで暇をやらなきゃ駄目かな。笑。 ま、今シーズンもよろしく!いよいよ春の準備が本格的に始まった♪

*かわいいおまけの写真:ギネスとチューイ

ブログにも何度か登場してきたギネス。17歳。今年18歳になるよ!

ギネスはGusのひとつ歳下(飼い主さんはGusを見てボーダー・テリアに惹かれてギネスを迎えたヨ)。Gusとギネスはパピーフレンズだった♡ 食いしん坊ぶりは今も変わらず、耳はもう殆ど聞こえないらしいけど、目はまだきれいで鼻もばっちりOK。オヤツの入っている私の小袋に鼻をこすりつけたり、後ろ足でひょいと立ち上がろうとしたり、まだまだ元気なおじいちゃんギネス。わちゃわちゃと絡まるチューイにも優しくってね〜。嫌な顔(?)ひとつ見せないし、チューイも何かを察してか、体当たりとか飛びついたりとかしなかった。

Gusが生きていたら、チューイと並んだときにこんな風だったんだろうな〜って、可愛らしいツーショットを撮ることができて嬉しい。Go Guinness!! まだまだ元気に楽しもうね〜♡

介護をする立場で想うこと・感じること

今日は弱音を吐きます。長いです。
書き出すことで気持ちを整理し、大波も超えて今は大丈夫なのでご心配なく♪

気持ちがやられてしまうとき

優しくなれないときがつらい
赦せないときがつらい
大らかに受け入れられないときがつらい
そういう自分がしんどい。

もう嫌だと駄々をこねて全てを投げ出したくなる。きっと「介護」をする側にいるひとたちがみんな感じることなのだろう。

相方とは二周りの歳の差がある。自分の親とあまり変わりがない。なので、色々と出始めて当然の年齢だ。

相方の体のあちこちが悪くなり始めたのは、もう8年ほど前のこと。ミニストローク(小さな脳梗塞)から始まり、謎の突発性リュウマチ、ハートアタック(ステンツ3つ挿入の手術済み)、腎臓病の発病とそれに伴って帯状疱疹(治らない)。腎臓病も治るものではなく、定期的に点滴治療(透析ではなく、癌患者が受けるようなもの)を受けたり他の飲み薬で現状維持していけたら良い。慢性の痛みは表面的な帯状疱疹の痛みと関節のズキズキとした痛みの両方だ。おまけにCOPDという気管支系の症状もあって、健康なひとの5~6割の肺機能しかない。
こうして書き出すと、オーマイガー。。。という感じだ。

「してあげてる」という思いがある。子供の頃、「◯◯やってあげてる」って「あげてる」って思いながらするんやったら、せんほうが(しない方が)ましや!と母によく言われた。確かに、そこには一理ある。

そりゃぁね、「私がしたくてしている。私ができるのだからしているだけのこと」っていう思いでいつもいられるなら、それに越したことはない。でもいつもそうはいかない。にんげんだもの!

「やってもらって当たり前的態度」OR「(私がすること・してあげてることに)まったく注意を払わない」ことが目につき始めると、イラッとくるわけです。特に、私自身が疲れていたり、天気が悪すぎて気分が落ちていたり、更年期でとにかく目の前に現れるものに噛みつきたくなるときには、「ちょっと待て。なんで私がこんなに頑張り続けなあかんわけ??」となる。彼が普段と全く変わらない態度でいたとしても、「おい、こら、なんなんだよその態度。よくまぁ、そこまで怠惰でいられるよな。なんなんだよその口調。あんたは一体なんなんだよっっっっ!!!」と。目につき始めるともうそれしか見えなくなり、腹が立って仕方なくなる「ループ」に入ってしまう。「うううっ。あぁっっ」と声を出して痛みで体を固めている彼を見ても、痛い痛い・うーーんうーーーんという唸り声を聞いても、もう「気の毒だ」とも感じなくなる自分。実際に「長い呼吸をするなどして、唸るのをなんとかやめて欲しい。じゃないと私の気がおかしくなるから!」とぶつけたこともある。好きで痛みと暮らしているわけではない、一番辛いのは彼自身だ、ってことは頭でわかっていても「でもね、私だってね、ニンゲンだからね、おかしくなるんだよっ!ワタシノコト考えてちょっと我慢しろよ!」って思ってしまう。

それがまたしんどい。そういう薄情な自分がすごく嫌にもなる。

長い話になってしまうけれど、腎臓病が発病して入院したときの激しい治療の副作用とあれこれが重なり、彼の記憶にも大きく影響がでた。しばらくしたらもとに戻るだろうと期待していたのに戻らなかった。「短期記憶」が乏しい。何度か検査を受け、歳相応の脳の伸縮は見られるらしい。加えて、ミニストロークのときの影響もあると。大きく進行はしてはいない。でも、認知症の一歩手前というかそれの一種?かもしれない。「少し忘れっぽくなった」レベルではない。一緒にいる相手の記憶が薄れて弱くなってくる、というのは、実に悲しいことだ。話をしていても「同じページにいない」と感じたり、相手はすっかり忘れてしまった口論のことや一緒にそのときに決めたことを、わたしひとりだけが覚えていて一人で悶々としていたりする。悲しいよね?

加えて、慢性痛が始まってからは、何かをしたい・出かけたいという意欲も激減し、そうやって日常の暮らしの中での「小さなチャレンジ、計画」がなくなった。コレはよくない。そう。ひとは毎日何かしら「する」「しなければならない」ということがなくなると、記憶力も落ちるし考えることをしなくなる。はっきり言ってしまうと「馬鹿」になる。ときどき、冗談でとぼけてたフリをしてるのか?って聞きたくなることもある(聞くこともある)。

私はどうすればよいのか。どうしたいのか。何ができるのか。と自問する。
私は何を感じているのか。

渦の中にいるときには:
もう嫌だ。この状況、この自分の状態が嫌だ。どこかに出かけてしばらく自分と家を切り離すべきか。何をどうすりゃいいのかわからなすぎる。何がどうなったら感情が落ち着くのか、誰か教えてくれ。

と、もがく。周りのものをぶっ壊したくなることもあった。まだ壊していないけれど。

私の気持ちをわかってほしくて「なんでそんな風なわけ?残りの人生、それでいいの?もったいなくない?」って強く聞いたり、これ以上弱くなってほしくはないので、「ほら、エクササイズしよう、なんで自己的に頑張れないの??」とプッシュしてしまう。(何もせんあなたはソレでいいかもしれんけど、全く動けなくなってしんどい思いをするのは私なんだってこと、わかってるん?? わかってへんやろ、頭使って想像してみいや。頭使ってへんやろ?な??? というループ。)

ただひとつ上手になったのは、そしてソレはワタシ的には大きな進歩だと思っているのは、渦の中にいても一生懸命自分の気持ちを言葉で相手にぶつけるようになったこと。長い間、そういうことが苦手で我慢して片付けてきた。でも我慢はもうしなくなったので、それは進歩だ。

大波が過ぎて少し落ち着き、凪がやってきて始めて答えられるもの、見えてくるものがある。

私が「辛い」と感じるその根底にあるのは、「変わって欲しい。」という願いなのだろう。少しでも以前の彼(モチベーションや好奇心)を取り戻して欲しい。短期記憶が改善して欲しい。彼のこういうところが良いところだ、と改めて感じさせて欲しい。そして、私の苛立ちや怒りの裏側にあるのは、「不安」なのだ。

そうだ。自分の感情を見つめていたときにもうひとつ気付いたこと。苛立ちや腹立たしさや悲しさ、不安以外に、「(相方が)こんな状態になって情けない、恥ずかしい」とも感じている自分がいた。コレには少し驚いた。ブログにこんなワタクシゴトを書くのもな、、、とずっと思ってきた理由はソレかもしれない。

彼の状況(年齢、病状、痛み、メモリーロス)は、私が願う様には変わらないと思う。これまた認めるのが怖くて不安だけれど、悪化することは合っても良くはならないだろう。ネガティブに捉えているわけではない。そういう流れなんだろうなって。

だから、どうにかして、私自身の「見方・捉え方」を変えてやっていくしかない。今まで通り正面から体当たりし続けるのを見直さないと。

自分の気持ちをきちんと伝える努力(爆弾を落とすことになるだろうけれど)は続けながら、根底にある「期待」や「不安」は捨てていくしかない。こういうものなんだろうなぁと。

ま、そうは言っても、渦の中に飛び込むと、私はまた同じことを繰り返すのだろうけれど。。。

だってにんげんだもの!!

長く書いてしまった。幸い、日本の両親はなんとか二人でやってくれていて、頭もまだしゃんとしているし、妹二人が近くにいてくれるのはとても有り難い。親の介護と相方の介護では、また違った感情がついて回るのだろうと想う。

ひとつね、私はチューイの面倒をみることに関しては、一切「やってあげている」っていう想いがない。ゼロだ。そんな風に相方をサポートできたらと時々思う。この人は犬だ、老犬だ!って自分に思い込ませたらどんなに楽だろうか。笑。あはは。そういう〆??

頭突き【夢】

ほんっとうにどうでも良い話なのですが。

昨夜の夢は久しぶりにすっ飛んでいたので記録。

仕事で別の建物(校舎)の一室に書類を取りに行ったのです。書類のハズなのに、大きなペーパーロール状になっていた。A4サイズの紙がロール状になっている感じ。「変なの」と思いながらそのオフィスを見渡すと、すごく古いコンピューター(画面の大きさが15cmx25cm位)の前にボリュームたっぷりの髪をくるくるに巻いている女性がいた。「ヘロ〜」と言ってみたけれど、「それ、持ってって」と目で返事をしただけで、タイピングに戻った。「変なひとだ」と思った。

大きなペーパーロールを抱え、自分のオフィスの建物に向かって歩いていた。

すると。

前方から。

。。。

白い生きものが突進してきた。

何なんだっっ???

へ?????

なに?

なんなんっっっ???

しっっ。

白ヤギっっ!

赤い舌をべろべろさせながら、頭をゆすり、突進してくるのは間違いもなく、

白ヤギだった。

なんでーーーーーっっっっっ!!!

ペーパーロールのせいだ。と咄嗟に思い、ロールをボーリングの玉のように素早く転がした。私と白ヤギから見て「直角の方向へ」!

でもでも、その白ヤギはペーパーロールには見向きもせず、一心不乱に頭を突きつけ、私の方に向かってくる!

こういうとき、普通、ひとはどう反応するんだろう。

「逃げても勝ち目はない。あの角を後ろからぶすっとされるのはゴメンだ。こうなったらオデコにはオデコで勝負しかない。」

1,2秒のうちに私はそう思ったんだと思う。

気づいたら白ヤギに頭を向け、来るなら来いっ、石頭で勝負してやるわいっと構えた。

実際に。白ヤギの硬いオデコが私のオデコに当たった。

そして、ぐりぐりしてきた

私もぐりぐりぐりっと押し返した。

硬かったけれど、温かかった。

オデコの硬さとプッシュの強さよりもなによりも、「その舌をべろべろとさせるのをやめてくれ」と願っていた。

。。。。。。

後でわかったこと(どうやってわかったのかは覚えていないけれど)は、その白ヤギは、あのオフィスの女性があの古いコンピューターで作り出した「AI Goat」だったということ。

それを聞かされて、なんていう迷惑なことをするひとだ、でも最近のAIはリアルすぎる!、、、と、複雑な後味を感じていたのでした。

そんな夢でした。