秋分。すっかり秋模様の庭より。

日本の母が「最高気温が32度ってでてるわー!」ってうなっていた。信じられないー。もう秋分の日だっていうのに、その暑さ。

ビクトリアはもうすっかり秋。雨の日が増え、朝もやがかかり、空気がしっとり。

土曜日は晴れていたので、少し庭の片付けを始めた。枯れて放っておくと、この時期は湿気が多い(というか、完全に乾くことができない)ので、草花によってはどんどん朽ちていく。土に戻っていくんだなぁ、と、眺めていてもいいんだけど、そうすると春に大変なことになるので。やっぱり引っこ抜いたり、刈り込んだり。それをまとめて袋につめたり。

土曜日の午前中は、一週間の疲れが抜けきれず眠いしだるい。でも、日曜は「雨マーク」ついているし。。。と。体にムチを打ってとりあえず畑ボックスだけは半分片付けた。ラベンダーも刈り込んだ。

私のあとをついてまわり、「ここだ」というスポットを見つけては草を引っ剥がして土を食べるGus。口の周りどろどろ。。。あぁー。どろどろ犬の季節がやってきた。

おいっ。そこっ! そこ、一応、花壇なのっ!

ーーーーーー。 ぼくちん、きこえないから。

春・夏に元気に咲いていた花たちも、終わったものから種をつけて倒れていたりして。もう、ぐちゃぐちゃなんだけどね。

庭に出て作業を始めたときは、体が重くて「あー、片付けるのってめんどうーー」って気持ちも重かったというのに。

少しずつ終わった野菜を引っこ抜いて土をならしたり、終わった枝を刈り込んでスッキリさせてあげたり、もう早くも春に向けて(?)芽を出しているこぼれ種組さんたちを見つけたりすると、どんどんいい気持ちになってくる。とても不思議。本当に不思議。

今年の育苗保育園の卒園生のイヌタデさん。↓↓

見えるかな〜。 濃い桃色(モーヴのような)の花が今咲いてます。今年は大きくなったのは3つだけだったので、来年はもう少し増やしてみたい。もうちょっと場所を考えて… (ホント、計画性がなくて…)。イヌタデは背が互いけれど、風に吹かれてもどうにかこうして立っていられるみたい。一方、タチアオイさんたちはフェンス沿いじゃないと倒れちゃうと思う。ということに気づいた。

秋になると食べたくなるのが、カボチャのニョッキ。多めに作って冷凍したよー。

去年も同じ頃に作ってた(笑)

残ったニョッキをね、チキンスープやベジスープに入れて食べるのも好き。ダンプリングスープみたいで♪

それから、グラノラも。

今日のバッチにはフラックスシード(を粉にしたもの)も混ぜたよー。香ばしくて美味しい。

さぁ、また一週間!

がんばってねん☆

ふたり

ふたり、の写真を3枚並べるよー♪

手をつないで、柔らかい声で会話を交わすお二人。

のろのろと歩いていたGusと私とすれ違うときに、「Beautiful day, isn’t it?」と奥さまのほうがにっこり笑って言葉をかけてくれた。続いてご主人さまのほうが「Enjoy your walk.」と言ってにっこり。「Thank you. you too.」といって私も笑顔を返した。素敵なご夫婦だな。と、ほっこり。

若いふたり。

しっかりと指をからめて手をつなぎ、さっさっと足早に私とGusの後ろからやってきたかわいらしいふたり。

歩くスピードがわたしたちよりずっと速いので、道の端によって先に行ってもらった。

すれ違い際に、彼女のほうが「Thank you.」って。きれいなひと。声も透き通ってきれいだった。彼はGusににっこり。この道の先にある小さな庭園に入っていった。そっか、庭園でデートなんだな。なんだかとても微笑ましくて、いいなぁ〜と、幸せな気持ちになった。

ふたりって、ひとりより、いいよなぁって。

そして、散歩の後にでかけたローカルマーケットで見かけたこのふたり。

右のね、傘を持っている人はパブリックアーティストの「Kashi Abbas」さん(←あとで調べた〜)

See & Be Seen、っていうパフォーマンス(プロジェクト?かな)をされている。私は体験しなかったけど、「Silent Eye-Contact」というのをしてるんだよー。説明を読んでみると、Kashiさんの前に座り一緒に数分目を閉じるんだって。そして、なにも言葉をかわさずににっこりと見つめ合うんだって。「無言で座り、見つめ、見つめられることで、わたしの心に何かが起こるんです。ひとがひとであることの本当の意味を気づかせてくれるんです。」というようなことがKashiさんのサイトにも書かれていた。それを共有できたらって。

「Connecting」とか「ソーシャルネットワーク」とかいって、わたしたちはスマホばかりを見つめてその中で「つながっている」気になっているけれど、本当にそうなのだろうか、っていう疑問が背景にあるんだろうな。言葉を交わさなくても、まったくの他人であっても、ただ静かに座って目を開けて見つめ合うだけで、自分というもの、目の前にいるこの人、二人で共有しているこの時とこの場所、を「見つめてみる」エクササイズなんだろうな。

Kashiさんのサイトでもインスタでも色んな人の写真が紹介されている。いろんなひとがいて様々な顔があって、いいなぁって思ったよ。

ふたり、でした〜。

つらぬきかくる くものいとすぢ

それぞれの季節に、「はっ」とするものはうまく散りばめられているんだなぁ。って。

秋の朝。朝露で光るくもの巣の季節になると毎年思う。

詩心のあるひとは、きらきらとした朝のくもの巣をみて一句詠んだりするのだろう。うーーーむ、とうなってみたけれど、なにも浮かばない。昔の人はどんな詩をうたったのだろうな、と、検索してみたら、古今集の中で文屋朝康の一句が出てきたよ♪

秋の野にをくしらつゆは珠なれや
  つらぬきかくる蜘蛛のいとすぢ

[秋の野の草葉に置く白露は玉であろうか。蜘蛛の糸がつらぬき通してかけていることだ。]

ぴったり☆

こんなにも時代の諸々のことは変わってしまったけれど、季節の移り変わりの中で感じる心は一千年以上も前となんら変わらない。一千年以上も昔に生きたひとたちのことを思い浮かべると、ふぅっと気が遠くなるね。

朝の通勤途中、もうそろそろ大学につきますよ、というこの小道で、自転車を横倒しにしてくもの巣を眺めた。

きれいね〜。

*おまけ:たまらんかわいい一枚

まだ生まれて間もないボーダーテリアのパピー。

ひくひくしてるっ。この小さなおちょんちょんと、ぽってりしたパピーベリーにむちゅぅーってしたいー。何度も見てしまった。

赤ちゃんはみんなかわいいなー。