終わりの美しさ

水仙のドライフラワー。

ドライフラワーを作るつもりはなく、ただ水がなくなってそのままにしておいたら、とてもきれいな姿が残った。

同じことをしても、いつもこういう風にドライになるとは限らない。咲き終わったあと、少しずつ頭を下げてしぼんでしまうものもある。そうなることの方が断然多い。なにか特別な条件がそろったから、こうして「ミイラ」のようになったのかも。

凝縮された美しさ。

*おまけ:ラバランプ

オフィスの机の隅に、古いラバランプがある。職場を離れていった同僚が残していったもので、すっかりホコリを被っていた。まだちゃんとぷくぷくと「ラバ」が動くのかなぁと、昨日の昼休みに電源を入れてみた。

動いた。

20分ほどするとラバの動きがすっかり滑らかになり、試しに動画を撮ってみたら見入ってしまった。

取りつかれたように。笑。

「終わりの美しさ」への4件のフィードバック

  1. どくとるくま より: 返信

    私ね、花瓶のチューリップの最後が大好きなんです。ちょっと見苦しくなってきたのを我慢していると、その後で色が凝縮されて、半透明でつやのある、何とも美しい物に変化する。
    それを記事にしようかなーと思っていた矢先にこの記事で、うわあ!シンクロ!と興奮してしまいました。でも私は写真がどうしても上手く撮れず、こんなんじゃない!と断念。

    1. くまさん、こんばんは〜。
      シンクロ!!
      花瓶の花の色が「凝縮される」っていうの、すごく良くわかります!花びらの質感が変わってくるんですよね。残っている最後の美しさが絞り出されたような。
      チューリップって花瓶に飾るの難しくないですか? ガーベラとチューリップはでれ〜んとしちゃうので、飾ったことも数えるほどです。でも、くまさんの言う「美しい姿」、見てみたいです!

  2. 花も散らずに、きれいに色が残るのですね。
    なんと美しい。

    自分の年齢のせいでしょうが、終わりの美しいものに気がつくとき、自分もこうでありたいと思います。

    1. もめんさん、おはようございます!
      この写真をとってから1週間ほどたってみると、やはり一回り花が小さくなって下を向くようになりました。いっときのこと、美しさ、なのでしょうね♡
      終わっていくときに見られる凝縮された、削ぎ落とされた美しさの中には、光と優しさを感じます。
      そんなひとでありたい、っておもいます♡ 自然に気付かされることってたくさんありますね♪

コメントは承認後に表示されます。