直島での再会:その一。

香川県直島町。

直島に根を下ろした友だちがいる。Cちゃん。Ckって呼ぼう。

今回の帰国中、25年+ぶりで、直島で、しかも共通の友だちAちゃん(高校仲間の集いでも一緒だった)と一緒に、Ckに会えた☆

弾丸・日帰り直島での再会の旅!

あの一日のことは夢のようで、どうやって記録すればいいものかと頭の中で想い出を「捏ねて」いた。笑。

短大のときに同じ学部で同じクラスをいくつか取り、友だちになった。若いころって、何がきっかけでどんなノリで友だちになってたんだろう。Ckは私とは全く違うタイプだと思う。女性らしくてきれいで。真面目で芯が強くて。関西人の面白さ、ツッコミのうまさは持ち備えていたけれど、どうしてCkが私みたいなのんと友だちになったのだろうって今でも不思議に思うことがある。当時は、いつも困ったようなちょっと泣きそうな顔をしていたCk。

そんなCkは、直島の海苔の養殖業を営む家に嫁いでいった。

そう、「海苔の養殖業」。

それがどんなものか詳しくわからないとしても、二十歳そこそこの都会育ちの娘がよ、「養殖」なんて稼業に飛び込んでいって辛くないわけがない!ということは想像できた。ネットもない時代、時々届いたCkからの手紙には「一年で一番寒い時期に、夜を通して一家総出で海苔の作業をするんだ」というようなことが書いてあり、あのCkが。。。寒いだろうな、手にしもやけもいっぱいできてるんとちゃうかな、辛いときに話せる友だちはいるんかな、泣きそうな顔して頑張ってるんやろな。。。っていつも思っていた。

ずーーーっと連絡がとれなかった。でも、ふっと思い出すことがあったんよね。ネット検索する以前から私の中には「直島ってきっとこんな風」っていうイメージがあった。海苔の養殖はしんどくっても、子供を育てるのには良い環境なのかもなぁ… Ckの子どもたちは美しい島を駆け回っているんだろうなぁって。

高校の懐かしい友だちたちと「しゅっ」と繋がったように、Ckとも同じときに連絡が取れた。今までにも、Facebookで探してもうまく見つけられなかった。それが、Aちゃんが「多分コレやで」って教えてくれたアカウントにDMを送ったら即効返事がきた。一時帰国中に直島で、3人で会おう!って決まった。

6時前の電車に乗り、途中の駅から乗ってきたAちゃん。

話が長くなるので端折るけど、、、このAちゃんは、ほんっっまにおもろい。明るい。昔からそうだったけど、彼女がいるとみんなが笑う。ちょっと日本人ばなれしたはっきりとした目鼻立ちで、ペコちゃんみたいでかわいい。口開くと、関西のおばちゃん。あれだけひとを笑わせることができて、前向きで愉しいのって、素晴らしい才能。

そのAちゃんね、前日に3人のグループラインで「スーツケース持って行こかな。泊まらせてもらおかな。」みたいなことを呟いてた。Ckも「泊まり泊まり!」みたいな冗談を返してた。

朝、駅のホームに立ってたAちゃん。黄色いスーツケース持ってた。。。

「なんなん?Aちゃん、ほんまに泊まることにしたん???何はいってんのん?」

「ちゃうちゃう、空っぽやで。笑。ほら、なんや帰りに荷物が出るかわからんやろ?その荷物(←私の)、こん中いれたろか?」

Aちゃんも、25年ほど前に里帰りをしていたCkと、わたしの実家で三人で会ったのが最後だったって言ってた。行きの新幹線の中、あの時はあーやったな、こうやったな、ドキドキするなぁー!と、はしゃぎながら二人でフルーツサンドを分けて食べた。岡山駅にはあっという間についてしまった。

岡山駅でのCkとの再会は、忘れられない。

うれしくて、笑えてきて、涙が出てきた。

めちゃくちゃでっかいファンシーな車で迎えに来てくれていたCk☆ 怖いくらいぜんっっっぜん変わっていなかった。なんなん、直島町民は歳とらへんのん?

宇野のフェリー乗り場までの道中、25年の空白をどこから埋めれば良いものか、とにかく大笑いしながら思いつくことを片っ端から聞いて話して。小さなフェリー乗り場がかわいらしい。私の住む島の周りのガルフアイランドへの小さなフェリーを思い出した。でも中はとってもきれいでスッキリ。フェリーにのってすぐに気づいたのは、外国人がたくさんいたこと。直島はアートで有名になってからというもの、旅行客だけでなく永住している外国人も結構いるらしい。

瀬戸内海の島々を見るとホッとする。これも、私が今住んでいるところの風景にかぶるものがあるからかな。Ckがこちらのフェリーに乗ったら、きっと同じように感じるんじゃないかな。

いよいよ直島が見えてきた!

ずーーーーーっと思い描いていたCkの暮らす島!

続く。

「直島での再会:その一。」への2件のフィードバック

  1. 直島は美術館やインスタレーションを見にいって、ベネッセのホテルに泊まって丸々観光客したから、海苔の養殖業をしている人がいることすら知らなかったよーーー!!! 一時は瀬戸内海はとても汚染されていたけれど、そういう養殖業はいつからやっていたのか、途中 中断していた時期があったのか?興味があるし、都会からそういうところにお嫁に行かれたお友達のストーリーも興味あるー!

    1. tomさん、おはよう!
      あー、やっぱりTomさんは行かれてるよね~、直島。そっかぁ、丘の上のベネッセホテル、だね!あそこには宿泊施設エリアにも色んなインスタレーションがあるんだよね?
      小さいから観光はしやすいところかな、って思った!
      ヴァレーギャラリーにはスラッグブッダっていうインスタレーションがあって、それは隣の島の「ヘドロ」(?だったかなの汚染物)を使って作られたって教えてもらったよ。友だちのとこの養殖業は休みなくずっと代々受け継がれてきているみたいよー。あ、でも、友だち夫婦が何代目なのか知らないわー。
      直島パート3は海苔のはなし、で締めくくるよ!笑

コメントは承認後に表示されます。