大橋トリオと春のそわそわと苔玉ボビー

1ヶ月ほど前、偶然知ったのが「大橋トリオ」さんの歌。何かを検索していて多分、Youtubeのリンクがあってクリックして流れてきたのが彼の「Honey」。たまたまそのクリップが結婚式のもので、今の自分の暮らしとは全く関係のないシチュエーションにもかかわらず、彼の柔らかい歌声とクリップの最後の方で涙している「娘をおくる父」のシーンを見てじぃ~~んときてぽろり。

好きだなぁ~、大橋トリオさんの声。私は今まで知らなかったけれど、日本ではCMに流れていたりするから知っている人もたくさんいるよね。初春のこの時期にぴったりのような気がする。まだ寒さの残る日に聞くとほっこりと暖かくて、眩しい春の陽の中、自転車をこいだり散歩をしながら聞くともりもりと新緑の気分になってくる。

思わずベストのCDをiTuneで買ってしまったほど。好きな曲はたくさんある。中でも、モンスターとかバームクーヘンを聞くと元気が出てくる。春を待ち望みながら…サクラとかもタイムリー。

話は変わり。今年に入ってからはどうものんびりとしている。気持ちが。去年は年の始めから「手を動かしたくて」、線描をしてみたり水彩で色を付けたりという遊びをしていた。最近はというと、デジタルでDoodle Marathonの方に時々描く程度。なんだかとろ~んとしていて、「遊んでみたい・取り組んでみたい」という気がおこらないのです。

1月2月はまぁそれでもいいやという気持ちだったんだけれど、3月に入ってから少々「罪悪感」に似たようなものを感じ始めた。春がくるのでみんなそわそわして当たり前で、きっとそのせいでもあるんだと思う。「何か目標に向けて頑張って達成したい」というのではなく、「毎日少しずつ」ができないと貴重な時間を無駄に過ごして(流して)しまったような気持ちになる。貧乏性なのかな。右脳を使っていないときっとそわそわしてくるんだろう。

そのせいか、最近、またとてもとても伊語を復習したくなってきた。「やらなきゃいけないのだ!」って自分を駆り立てすぎている気もする。Must>Want toの状態は、焦るばかりであまりヘルシーではないな。またその話は今度。

雨上がり。虹見っけ。

そんな春のそわそわモードの中で、唯一穏やかなリズムを作ってくれているのが瞑想。今日で30日目。一日は1440分。そのうちの15分の瞑想中は静かにそこに在るだけでよろしい。「ああしなきゃ、こうしたい、嬉しかった、イライラした、なんでぇ??」っていう色々をとりあえず横に積み上げておいて、ただそこにいればそれでいい。心と頭が静かになれない日もしょっちゅうです。でも時々一瞬、「ふぅ」っと軽くなる。この心が(?)いろんな感情や概念などから自由になるときがとても気持ちいい。私はまだまだ雑念に埋もれていることばかりだけど、この15分楽しみになってきたヨ。あ、ちなみに、水曜日のランチタイムの瞑想では寝てしまう…

そうだ!ちょっと苔玉ボビーアップデート!

ボビーは職場のカウンターにいます。2つ出ていた芽の一つはどんどん元気を失い、先週はパートの男の子たちにも「ナニコレ?」って笑われていた。そのボビーくん! 月曜日の朝見ると、まったく新しい芽をぴょーんと吹き出していた!

左の手前の芽は枯れちゃった(赤い茎)。でもその後ろに新しい芽が出てる!

すごいやんっ! 枯れた芽をハサミで切り、水をあげた。新しい芽は毎日すくすくと育っている。苔の方はいまいち緑をとりもどせていないけれど、表面には胞子体が伸びている♪

そのボビーくんの復活ぶりをみたパートの男の子の一人が、ボビーを眺めながら「I want one of these now…」とつぶやいた!欲しくなってきたんだって~。うふふっ。うふふっ。あんなに笑っていたくせにー。
苔玉は語りかけたのですね。Bobby spoke to his heart.  苔玉パワー。

おまけ:冷ご飯で「ライスグラタン」。なつかしの味…

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鼻呼吸の瞑想週間

Happy Friday☆

今日は「瞑想」の話を少し。

今週は月曜日から5日続けて毎日15分の瞑想をしてみた。朝にはどうしても時間がとれないので、夜に。「毎日」というのがなかなか難しくて、今までは週に一度のランチタイム瞑想だけだった。「毎日やってみるぞ!」という意気込みがあったわけではなく、二日、三日続けたら何か感じるのかなぁ、という興味から。そんな風に思っていたときに、相方が見つけた「鼻から息をすること」についての記事を読んだ。それもなかなか興味深くて。

その記事は少しサイエンス系のもので、鼻呼吸が脳にもたらす影響:脳の「記憶」と「感情」を司っているエリアと密接に関係している、というようなことを説明していた。鼻呼吸は、脳の感情を呼び起こすエリアと記憶を納めるエリアの間の電気信号をコーディネートしているんだそうよ。ほら、何かの匂いを嗅いだときに、昔懐かしい記憶が鮮明に蘇ってくることあるでしょ?これも鼻から息を吸うという作業(?)が匂いとそのときの感情や記憶を強く結びつけるからなんだそうな。で、たとえそのときに特別な匂いや香りがなかったとしても、鼻呼吸は感情と記憶に大きな影響を及ぼすんだって。息を吸い込んでいるときに見たものや聞いたことや感じたことは、記憶に残りやすいんだって〜。でね、鼻呼吸ってオーケストラの指揮者のようなもので、「脳の匂いを感じ取る部分にゆったりとした流れを作りながら、同時に感情と記憶のエリアに速くリズミカルな音色を編みこんでいる」そうよ。抽象的だけれど、なんとなく想像できることない?

ゆっくりと鼻から息を吸い込むときには、脳のシグナルが操られて感情と記憶のプロセスが研ぎすまされるんだって。そして鼻から息を吐くときには、神経系がすぅっと落ち着いて、自然と心拍数が下がり不安で落ち着かない感情が溶けていくそうですよ。

そんな話を読んだ日に、テレビのニュースで朝の10分間「Mindful Meditation」を試している黒人の子どもたちが大半の小中学校の話を見た。ありきたりの話に聞こえるかもしれないけれど、その学校では子どもたちの間の喧嘩や暴力沙汰が激減(またはゼロ)になったんだって。「かぁっとしたときに、その場を離れて呼吸に集中した瞑想をすることで、むかむかしていた相手への怒りが消えちゃうんだ」って言ってた子もいた。リポーターが「瞑想とかいって逃げてんじゃないのか、ってからかわれたりしたら?」って聞くと、「そのときにはもうどうでも良くなってるの。」って。

前置きがずいぶん長くなったけど。

それで私も呼吸に集中してする瞑想を5日間やってみた。

はっきりと気づいた変化がひとつ:眠りの質がよくなった

瞑想しながら寝てしまうことも(特にランチタイムのは)しょっちゅうですが。夜の眠りが深くなった気がする。

あと、私の場合、瞑想中にランダムな「イメージ」が浮かんでくることが良くある。そういうときも、鼻呼吸に意識をもどして空気が鼻から通って体の中に流れていく感覚に集中する。

15分。最初の5分ほどは体が「もぞもぞ」する。頭に色んな想いがよぎるだけでなくて、体中の細胞が動いているのがわかるくらいもぞもぞする。皮膚とか筋肉とか。ところが、15分が終わる数分前、不思議な感覚に包まれる。体が重たくなって床に接している太ももがそのまま床にへばりつきそうな感じになる。膝においている手の平が温かくなり、溶けて膝の一部になったような錯覚をおこす。体がひとつの「ただの塊」みたいになる。なのに、肩から上はなんとなくすぅっと軽い。ここちの良い重力と意識の軽さが同時にそこにある、みたいな感じかな。上手く言えないけど。

それで、昨夜のDoodleは、目に浮かんできた「心地良い重みがあり空に浮かんでしまいそうなカタマリ」でした(↓↓)。

今夜は相方も誘って一緒に15分。Gusも私の膝の前にやってきた。最初はそばにある相方のエナジーなんかも感じて少し落ち着かなかったけれど、そのうち慣れたよ。

もう少し続けてみようかな。さてさて週末! 庭に出て枝を切るぞー!
皆さんも気持ちのいいゆったりとした週末を☆

*参考に:

「ご〜〜ん」という鐘の音がなるシンプルなメディテーションアプリを使ってマス。
Ensō | Meditation Timer & Bell

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父の通信より:瞑想と運動会

水曜日はランチタムの瞑想の日。水曜の朝にはヘンリー先生からお知らせメールが入る。いつも同じ内容で、一つ瞑想に関わる引用画像を紹介してくれる。これがちょっと楽しみなのです。今朝の添付画像はこれ。

meditation-is-breath-of-soul

「瞑想は魂の呼吸。吸って吐いての呼吸が肉体の活力の源であるように、瞑想は魂にとっての息吹である」

昨日は一日、理由もわからずとてもそわそわとしていた。浮足立っていた。天候のせいか、月のエネルギーのせいか、覚えていない夢のせいか、ホルモンバランスのせいか、前日食べたもののせいか。私のイメージでは、お腹の底に泉があって、その泉がちゃぽちゃぽと揺れて乱れているのが目に見えるようだった。今日はずいぶん落ち着いている。

Oct19b

父の9月の通信にも瞑想のことが書いてあり、ちょっと面白かったので紹介~。

ゴンタ(柴犬12歳)の最近の様子を眺めていますと、自然の流れに抗わず、今を精一杯に生きているように思えてなりません。
ごんた就寝前のひととき、室内でこのような表情をよく見せますが、現実を素直に受け入れ、心にこだわりを持たず、自在に解き放たれているようです。
瞑想している姿でもあります。過日テレビ番組で、この瞑想をテーマにした内容が放映されていました。脳科学の研究からもθ波が出ていて、認知、記憶などにも効果があるとのこと。瞑想の方法は、姿勢を正しく、両手は膝の上に揃え、瞼を閉じて、呼吸のみを意識することです。番組の中で3分間、瞑想の時間があって私も一緒にやってみました。瞼をあけると気分スッキリ、もう少し続けてみたいと感じました。
この番組を見終えた後、かつて小学校で学級担任をしていた頃を思い出しました。どの学年であっても、一時間目の始まる前に、子らと共に瞼を閉じて、深呼吸を10回(教室内は水を打ったように静かになる)してから、授業に入ったことを思い出したのです。それによって、クラス全体の学習の構えが出来たことが記憶に残っています。ゴンタは毎日、瞑想をしています。その効果なのか、高齢の割には意識がはっきりしています。ゴンタがこの表情を見せる時、私も瞑想に取り組んでみようかなと思う次第です。

私の小1のときの担任は父だった。前にも書いたけど、当時バングラデシュで暮らしていて日本人学校は一つ。親が教師で赴任している場合は、子供は担任が自分の親っていうことも珍しくなかった。そう言えば、あの当時も目を閉じて10数える、をやってたなー。と懐かしくなった。この通信の返事に「私も時々瞑想する」って書き、その後、父ともスカイプで話をした。スカイプに出るなり「あ、返事メール読んだけど、瞑想やってるんやって?」と父。「そう、時々やけどね〜。」と言うと、「ほほぅ。」…沈黙。 ほんっと、口下手で娘と会話のできない父親(苦笑)。

Oct19a

もう一つ、父の運動会の感想が興味深かった。

…運動会の競技、演技などに精一杯取組み、ほほえましい場面がいくつもあって、惜しみなく拍手を贈った。
時の移り変わりとともに、運動会も様変わりしたようで一抹の寂しさを感じたのも事実である。

  • 全児童の入場行進がない。(鼓笛も含む)
  • 完成度の高いラジオ体操でなく、別の簡単な内容で準備運動としては十分でない。
  • 各種目前後の入退場(BGM入)がはっきりしない。
  • 個人走などもBGMなし。また、出発時のピストル合図の音も小さい。
  • 運動会定番のBGMがなく、盛り上がりに欠く。
  • 怪我の事案もあって、組み立て体操なし。
  • 昼食時、児童は教室で摂り、遠方からの保護者のみ体育館で摂り、子どもの姿が見られない。

周囲住宅への配慮なのか、静かな運動会であった。年に一度の行事のこと、わかってもらえると思うのだが。こんなことを綴るのも歳を重ねたせいなのか。教員としての基礎を育てていただいた橋波小学校では、年間を通して素足体育を実践し、光るグランド大地をしっかり踏みしめる、運動会の子らの姿を想い出す。

次の教育課程改訂のキーワードは「アクティブラーニング」と耳にするが、学ぶ基本体は「生体」であることを改めて思う。

最近は運動会も9月中に終わらせたりするところが増えているんだねー。私が子供の頃は、秋も深まって朝晩が冷えてくる頃だった気がする。運動会の朝、体操着で登校するのが肌寒かったのも覚えている。父のコメントを読んで、ずいぶん変わったんだなぁって驚いた。運動会、好きだったなぁ。練習は大変だったけど。旗を持って体型移動する団体演技の練習中、待っている間に眠ってしまったこともあったっけ。みんなが移動した後、一人で体育座りしたまま運動場の片隅で居眠ってた… 暑かったもんなぁ~。先生方も大変だっただろなぁ。でさ、ほら、普段、勉強ができなくて悪さばっかりしている子が、運動会の日だけはキラリと光っていたりしたねぇ。とっても懐かしい~。

Oct19
ぼくちんもめいそーちゅー。

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