「タイパ」トレンドの中でのブログ

くまさんが少し前に書かれていたブログの記事に考えさせられた。

「最近疲れてしまったのは何故だろうと考えていた。」
から始まる記事。読みながら「あーーっ。そうそうそう!そうなんよねーっ」って大きく頷き、考えてしまった。

私も最近、疲れてしまっていた。私を疲れさせている要因はいくつかあるのだけれど、それとは別に、ぼ~んやりと「なんか疲れてる。なんかイヤ」なムード(?)に包まれていることがある。

今までは、夜の少しの自分時間にブログを開いて「さて、書こうかな」という時間は、私にとってポジティブで気持ちの良い作業時間だった。書いた後の気分は、ちょっと体を動かした後の心地よさ、のような。それがさ、最近は同じように机に向かったときに「ふむ。」と足踏みをすることがある。書き始めると、中にあるものを外に出して心地よくなるのだけれど、ときどき「こんな同じようなことを書いてて何か意味があるのかな」と振り返ったり、かけなかったり。気持ちが乗らないときには書かないでいようとも思う。で、乗らない日がよくある。

そしてっ!

そういう風な「ぼやぁ~」っと気が乗らない・ぱっとしないときに、最近の自分は何をしているのかというと。。。

しゃーーっしゃーーーーっとインスタをスクロールしたり、ネットの記事などを端折って斜め読みしたりしてるっ!

どきっ。

そうすることで、「ぼやぁ~っとして気持ちが乗っていない」という自分の部分を「麻痺」させてる!?

これってやばいんちゃうのん。

インスタでは、自分の興味のあるコトをシェアしているひとたちの写真をみたり、アイデアや刺激をもらったり、直接質問させてもらえるので、そういうツールとして私は好きなのです。でも、ぼーーーっとなんだか気がのらなくて何もする気になれないときに「インスタをただただスクロールして眺める」って、、、変!! じゃない?? 気づいてしまうと、ホント、なんでそんなことをするのかが全くわからない。

それから、くまさんの記事の中にあった「タイパ」というコンセプト。なにそれ?って思ったけれど、タイパについて読んでみると、なるほどなぁと納得してしまう。読んだ記事はこれ☆

タイパ=タイムパフォーマンス=時間対効果=効率の良い時間の活用。 つまり、タイパが良い短時間でどれだけ効率よく○○を達成できるか(例:情報を得られるか)、なのです。サイトの記事ではスキマ時間を活用してタイパ良く(?)暮らすアイデアやアプリなども紹介されていてびっくりした。

タイパよくするべきことをこなすのは、「余分にできた時間で好きなことをゆっくりとする」のが最終目的なのか?

あと、このスキマ時間。スキマ時間さえも効率よく使うためにタイパの良い商品やプラットフォームや手段を選ぶ。というトレンド(?)にも驚いた。少し寂しい気もする。スキマ時間はスキマのままでいいやんっって思うのは昭和世代?

大きな葉っぱのレース。きれい。微生物たちの自然の活動でうまれたオーディナリー・パフォーマンス。オパ?!

ツイッターやインスタ、Tiktok、上の文章やビデオの長さが、わたしたちの「アテンションスパン(集中力)」のディフォルトになってしまったら、人と人との会話もふくめて色んなことが「ひとくちサイズ」になってしまうだろう。

昼休み、久しぶりにキャンパスガーデンを歩きながら木々たちを眺め「きみたちはタイパもコスパもなく、常に変わらずのパフォーマンスのパやね。」って思った。わたしも最近、ひとくちサイズ、タイパ、に慣れてきてしまっているのかなぁ。そういうことが「自分のブログというもの」を振り返ってみたり疑問をもったりする原因になってるのかなぁって。情報受信がタイパかぶれしてしまった場合、情報の発信方法にもなんらかの影響がでてくるのかなぁと。

くまさん同様、わたしにとってのブログは、自分が心地よく記録し、「日本語で書く練習」の場であり、向こう側で読んでくれているひとたちに「ねぇねぇ、ちょっと聞いてよ」と話しかけさせてもらえる(一方的にですが)ところ。さくさくっとしたひとくちサイズじゃないけれど、自分のペースでこのスタイルでもう少し続けてみようと思う。