古代の商港都市 オスティア・アンティーカを歩く

紀元7世紀にテヴェレ川の河口に最初に作られた港町、オスティア・アンティーカ。紹介しようかどうか迷ったのです。私自身、オスティア・アンティーカは事前に写真で見た時の印象が「ふぅ〜ん。大きな遺跡か。」っていう程度だった。おそらくここで私が同じように写真を並べても、「ふぅ〜ん。」なんだと思う。旅先の美術館や観光スポットって、写真で見たとおり・思っていたとおり素晴らしかった!っていうところもあれば、行ってみてちょっとガッカリ、っていうのもあるよね。このオスティア・アンティーカは、行ってみてそのスケールを感じて古代の街を歩いてみるべきスポット。ローマのテルミニ駅から電車を二つ乗り継いで、1時間もかからなかったよ。時間があれば、是非、ゆっくりと一日かけて歩いてほしいところです♪

Ostia Antica

とても広い。このメインストリート「デグマーノ・マッシモ」は全長2km。敷き詰められた大きな石の淵は磨り減り、隙間に足が何度も足が挟まりそうになった。オスティア・アンティーカは、紀元1世紀から3世紀ごろに最盛期を迎えて、4世紀ごろになるとテヴェレ川の河口が砂で埋まってしまい徐々に衰退していったんだって。最初に小さな港町として現れてから約1000年もの間、栄えた都市。2000年以上も昔のこと。それを念頭に歩き始めた。

とは言え。最初歩き始めた時は「公園を歩いている」様な軽い気持ち(?)だった。ところが、進むに連れて「大浴場」やら「劇場」やら「フォーラム」やら「商店街」やら「居住区」やらなんやらが出てくる。それも、半端じゃないスケールで。そこで初めて、この古代の商港都市がどれほどの長い間栄えていたのか、実感した。

ネプチューンの浴場。展望スポットに上がると、お風呂場の様子がよく見える(↓)。

Ostia Antica

私たちが見ただけでも浴場は3つ。根気よく歩けば6つ7つ軽く見つかるらしいよ。温浴場の床にはモザイクがほどこされていて、このモチーフがそれぞれの浴場のテーマを表現しているみたい。

デグマーノ・マッシモをそのまま歩いていくと、大劇場あり。一番てっぺんに立つと、この辺りの街の様子が一望できる。面白いなって思ったのは、劇場の正面にある広場(↓)。「同業者組合の広場」なんだって〜。商工会議所みたいなもの。なんてったって、港の街。地中海沿岸の国々やエジプト、アフリカからも数々の輸入品が流れ込んできたわけで、それぞれの品物・職業ごとにオフィスを構えていたんだそうな。面白いよー。魚やイルカや小麦など、品物のモチーフが店の床にモザイクで描かれていて今でもハッキリと残ってる。

Ostia Antica

どんなものが輸入されていたのか、ハッキリとわかるもんね。後で調べてみると、小麦はとても貴重な輸入品で、その他にも肉類、酢、衣類、金属、パピルス、香料などなど。こういったものが全てローマに送られていたんだって。当時のオスティア・アンティーカは、活気に溢れた国際都市だったんだよ〜。こうして歩きながらそんなことを想像するとわくわくしてくる。

しつこいけれど、これが2000年以上も昔の街なのです。劇場の様なスケールの大きな建造物にも圧倒されるけれど、街のあちこちに残っている居住区や店頭のディティールにも感動する。

Ostia Antica

↓↓カピトリウム=神殿。屋根の部分は残っていないものの、壁はまだしっかりと残っている。ローマの3神(ユピテル、ユノ、ミネルウァ)が祀られていたんだって。

Ostia Antica

この神殿の周りには仕切りで区切られた建物がたくさんあったんだけど、それらは輸入品の一時保存倉庫だったらしい。あとでゆっくりと地図を見てみると、素晴らしい都市計画なんだよ。それが徐々にそういう風にデザインされたのか、前もって計画されたのかはわからないんだけど。倉庫があって、その近辺にはマーケットがあり…

市場があれば商店街の様な通りがあり☆ 「ディアナの家の通り」は面白かったよ〜。現在は2階までしか残っていないものの、当時は4階建ての「インスラ」って呼ばれるアパートが両側に建ち並んでいたらしい。2階までは登れるよ。その当時、すでにインスラの建築制限があったんだって!その制限では4階までしか建てられなかったそうです。

Ostia Antica

一階部分は商業目的として利用され、上部階は居住空間。これって、現在のコンドでもよく見かけるスタイルやんねー。

一番テンションがあがったのは、この「居酒屋(テルモポリウム)」!

Ostia Antica

お店に入るとカウンターがあって、フレスコの看板がかかってるのー。左の図は恐らく蕪らしき野菜がお盆にのっていて、中央はコップ、右のは…よくわからない。

Ostia Antica

↑↑ ほらっ、カウンター。ここにもたれて一杯…当時のカクテルは、ワインに蜂蜜、スパイスなどを混ぜたものが主流だったらしいよ。カウンターの前にはカマド(?)みたいなものもあり。

Ostia Antica

居酒屋の奥は中庭の様になっていて、作り付けのベンチがあり。ここで当時の商人たちは仕事の後くつろいだりしたんだろうな。

3階レベルまで残っている部分もあったので登ってみた。こうしてみると、この辺りは細かな部屋に分かれている。ここも倉庫だったのかな。インスラはアパートスタイルだけれど、ドムスっていう一戸建ての家が並ぶエリアもあるらしい(迷ってしまってたどり着かなかった。。。)

Ostia Antica

ディアナの家の通りを抜けて、地図を見ながら歩いていたものの、どこがどこなのか分かんなくなった私たち。そう、古代都市はグーグルマップにはのっておりませぬ。。。

Ostia Antica

何に一番感動したかというと、街のデザインがとても「合理的」だということ。とても文化的でもあり、この商業の街を訪れた多国籍の人たちを迎え入れるシステムが整っていたこと、多様な宗教をも含めて受け入れ、文化的にとても柔軟だったこと。これらのシステムが2000年以上も前にすでに確立していたということ。現在の私たちの地方政治なんかよりも、ずっと「まとも」じゃないか、って思わずにはいられなかった。

Ostia Antica

オスティア・アンティーカの写真を見ているだけでは感じられなかったこと。延々と迷子になりながら歩いてみて気づくことができて、よかった♪

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ローマ:サン・ロレンツォ地区より

頑張ってバチカンを紹介した(?)ので、ちょっと息抜き。私たちが滞在した地区「San Lorenzo・サンロレンツォ」からのシーン。ほとんど散歩の途中に iPhoneで撮ったもの。ローマ観光のメインスポットとして取り上げられることは無いであろうサン・ロレンツォ。なので、少し紹介しますねっ。ローマ・テルミニ駅の近く、古代ローマの城壁を挟んで東西に広がる地区。

San Lorenzo

今回で2度めのローマ。前回は、正直、相方も私も「おどおど」していた。ここは色んな人種が入り混じり、活気があって面白い。大学やカレッジ(?)もあり、学生さんもよく見かけた。前回は「ちょっとぉ、こわぁい。」ってビクビクしていたけれど、今回はこの地区が大好きになった。毎朝、時間があったら一人でアパートの周りをてくてくと散策したヨ。

アジア人やアフリカ、中近東の人たちがたくさんいて、マーケットだって「何これ?」ってものが売ってたよ。中華系のお店では使えそうな調味料も全部揃う。

San Lorenzo

色んな顔の人たちが入り混じって生活しているのがとっても面白い。カテリーナの通う小学校も国際色豊かで、公立学校としてはローマではちょっと珍しいそうです。ほら、今年話題になった映画「グレートビューティー」の主人公ジェッパ。彼の子供さんもこの学校に通ってるんだって。移民人口が増えつつイタリアで、カテリーナの様に色んな国の子供達と一緒に勉強し活動する環境はますます必要になってくる、ってフランチェスカも言ってた。モデル校として、他の地区からも参観者が来たりするとも言ってた。

San Lorenzo

テルミニ駅の西側にはトラムが走る。このすぐ近くに小さなサン・ビビアナ教会があって、そこにはベルニーニが一人で手がけた最初の彫刻があるんだよ。マシモの話では、この辺りはちょうど丘になっているんだって。なので、その昔には「ビラ」が建ち並んでいたそうな。現在はガッツリとしたアパートやなぐり描きのグラフィッティやゴミも多いので、想像ができない。この辺りから発掘された彫刻やモザイクの数々を数日後、美術館で見ることができた。こうして、少し歩いてみて、マシモの話を聞いて、美術館で発掘品を目にして、ほんの少し点と点が繋がった!と感じられる瞬間がありました。

サン・ロレンツォって、ローマで唯一、第2時世界大戦中に連合軍の爆撃を受けた地区なんだって。その時に亡くなった人たちの名前が書き連ねられた公園もある。

San Lorenzo

マシモが近所に買い物に行くときは、「一緒に来る?」と声をかけてくれたので、いつもついて回った。まったく、金魚のフンとは私の事。ローマの他の地区にゆっくりと滞在したことがないから、比べることはできないけれど、私はこのサン・ロレンツォが好きです。マシモのフレンドリーな性格もあるけれど、お店の人たちとの会話とか、道行く人に話しかける様子などを見聞きしていると、「コミュニティ」の存在を感じた。これは、ビクトリアに住んでいると感じられないもので、素敵だなぁって羨ましくもなった。

San Lorenzo

下町の雰囲気っていうのかな。みんな、妙に声が大きいし、気さくだし。今回は少し気持ちに余裕もあったからか、話せないけど挨拶したり。「えーっと、うーんと、そのパンの半分だけ頂戴。」って言ってみたりすると、すんごい親切に「ちょっと味見する?」って一切れくれたり。「北の方に行くと、人との関わりがまた全然違うよ」ってフランチェスカが言ってた。ローマにいる調子で店の人に話しかけたりすると、変な目で見られることもあるよって。地域柄もあるんだね。

San Lorenzo

ハチャメチャで小汚くって、でも人情味溢れるサン・ロレンツォ。好きです。

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バチカンツアー・ラファエロの間とボルジアの間

旅の後半はローマ!二度目です。一度目よりももっと好きになった街。

前回は人の多さにびびってしまって近寄ることもしなかったバチカン市国。行ってきたよ〜☆

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「バチカンを見る」と言っても、どの部分をどうやって見るのか、考えるだけで気が遠くなる。バチカン美術館はたくさんの美術館の複合体。何を見たいのかはっきりしていて、美術史に詳しければ自分たちで計画して周ればいい。そうでない私たちは「どうする〜?」と唸っていた。ラッキーなことに、同時期にイタリアを旅行中の相方のお姉さんご夫婦が、私たちがローマに戻った翌日にバチカンのツアーに行くというじゃないですかっ。「一緒においでよ、ガイドさんも雇ったし、二人でも四人でも一緒だよ」と誘って下さったのー。わーい。

英語の堪能な現地の公式ガイドさんの後について、ストレスフリーで行ってきました♪

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有名なサン・ピエトロ大聖堂。ドームが薄い青い色をしていた。大聖堂はこの日のツアーに入っていなかったので、コレが一番近くで見たもの。義姉さん夫婦の組んだツアーは「ラファエロの間→ボルジアの間→システィーナ礼拝堂」の3箇所をメインに見るというもの。それでも3時間半かかったよ〜。というのも、この見学スポット#1「ラファエロの間」まで結構歩くんだけど、その順路のありとあらゆるところに美術品が散りばめられているんだもん。

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公式ガイドさんは、バチカンに入るのはフリーパスなので、列に並ぶことなくささーっと一緒に通過して中庭に。中央(↑)はピーニャ=松ぼっくり。レプリカなんだけど、本物は1〜2世紀に作られたもので噴水のモニュメントだったんだって。

↓今回のガイドさん。 ローマの公式ガイドさんって… 生きた美術史ハードドライブ、です。情報量がすごいもん。何を聞いても即答(当たり前)だし。色んなグループの引率をして、同じことを説明してきたはずなのに、それでもとっても情熱的に丁寧に説明をして下さった彼女、素敵でした。ガイドの仕事が大好きなんだって。

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↑は中庭のベンチでこれから見て回るところを説明してくれています。特に「システィーナ礼拝堂」に入ると見学者は「話してはいけない」決まりになっているんだって。人の吐く息による損害をなるべく抑えるという意味もあるようです。それで、システィーナ礼拝堂の天井画の詳しい説明、というワケ。

バチカン美術館では、写真をほとんど撮らなかった。とても気になった作品だけを少し。まったく知識のない私がランダムに惹かれたものだけですが、良かったら見てね〜。

↓「ラオコーン像」。トロイの神官ラオコーンと二人の息子が海蛇に巻きつかれているシーンなんだそうで。三人の恐怖に満ちた表情と美しい体に巻き付く蛇の様子がとても生々しくてどきっとした。その昔、浴場に飾られていたというから、重ねてどっきり。こんな苦しげな表情の彫刻のそばでは、ゆっくりお風呂に入っていられないよ。

vatican4 動物の間(?)かな? この彫刻たち、すんごい可愛らしかったよ。中でも2匹のワンコの像が愛らしかった〜。一匹が肩もみしているようなの(↓見える?)、欲しい。

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Gallery of Map と呼ばれる回廊。

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両側の壁には、イタリア半島が南北に描かれている。片方にはリグーリアの海、もう片方はアドリア海。この回廊を歩くとイタリアを縦断できるのです。

見ての通り、どちらを向いても「何かがある」美術館。何にも置かれていないのはガラス窓の上だけ。そんな感じだったよ。

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なので、途中、何度も窓の外を眺めて休憩。

あ、タペストリーがびっしりと壁にかけられている回廊もあったんだけど、中でもこの一枚は面白かった!

よく見てね。まずはタペストリーの左側からの一枚。

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テーブルが見ている私の方に突き出ているような3D効果ありでしょ?

そのまま歩いて、次はタペストリーの右側から見てみるのね。

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ほら、今度はテーブルの右端の角が私の方に突き出て見える!

上手く説明できないけど、テーブルを含めたシーンがぐぐっと私が動くのについて角度を変えている様な錯覚を起こすのです。何度も行ったり来たりしてしまった(笑)。

長い回廊を南北に端から端まで通過して、ようやく(!)目的の「ラファエロの間」の入り口へ。

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このマリア様(かなぁ?)のまとっているドレス(?と呼ぶのかなぁ)の色がきれいでした。窓の向こうを眺めている表情に、私までホッ。

ラファエロの間は東西に4つの部屋から構成されていて、それぞれにテーマがあり、それがひと続きの応接室なんだって。一つ一つの部屋の壁と天井にテーマに基づいたシーンが描かれていた。まぁ、人も多かったし、結構疲れてきた私たち。でもどうしても見たかったのがこれです。↓↓

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「署名の間」に描かれたラファエロの作品「アテネの学童」。教科書に出てきたよ! 当時、このシーンが壁に描かれたフレスコ画ってことも知らなかったっ。中央下段で肘をついて座っているのが、ミケランジェロらしいね。彼の才能と技術を賞賛したラファエロが後で描き加えたんだそうな。

ラファエロの4部屋のちょうど一階下が「ボルジアの間」。義姉さんの旦那さんの強い要望で訪れたところ。ボルジア(ローマ教皇・アレクサンデル6世)が実際に居住空間として利用していたというからびっくり。だってね、すんごいこっってりした装飾だったよー。プラスターで表面を立体的に浮き上がらせたところに着色するという技法がふんだんにとりいれられていました。ボルジア家ってスペインのバレンシア発祥で、家紋の中央に「牛」が描かれているのね。だから、どの部屋の装飾を見ても牛のモチーフがいっぱいっ!楽しかったディティールです。

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この時点でもうフラフラだったんだけど、このあと、システィーナ礼拝堂に辿り着き、蘇りました。

私たちのツアーは最終グループ(閉館間際にシスティーナ礼拝堂にたどり着くグループ)だったんだけど、これが正解だったよ。もちろん、人はたくさんいたけれど、午前や日中のごった返しとは比べ物にならないほどひっそりとしていた(←ガイドさんの話)。私たちが訪れた1ヶ月ほど前に、初めてシスティーナ礼拝堂にLEDライトが設置されたのもラッキーでした。それまでは、ミケランジェロの最後の審判や天井は日中でも薄暗く、ハッキリと見ることができなかったらしいから。言葉では表せない美しい空間で、たった一人の画家があの天井画を4年で仕上げたなんて信じられない。

ガイドさんも、「話さない」というルールがあっても、人が溢れているとそれだけざわついてしまう。人が少ない閉館間際が、システィーナ礼拝堂を肌で「感じる」ベストの時間帯よ、と言っていたヨ♪

ほーら、バチカンの記事をささっと読んでいるだけでもぐったりでしょ? でも、もし行く機会があったら、2時半〜3時頃にツアーなりを初めて5時半ころにシスティーナ礼拝堂を感じて欲しいです。

*お知らせ:写真の上でクリックすると写真が大きくなります。写真の外側でもう一度クリックすると閉じます。試してみてね☆

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