昭和の給食を思い出す。

ボーダさんがCookDooの酢豚を作られた投稿の中で、給食の酢豚はあまり美味しくなかったと書かれていた。私の給食酢豚の思い出はそれほど悪くないけれど、バカでかい玉ねぎとにんじんばかりが自分の器に入っているときは悲しかったっけ。

私は小学校の間に2回転校して、3つ目のマンモス校の給食のことを思いだした。給食なんてこんなものだと思っていたけれど、かなりまずいものがあったなぁ。ダントツ一番「不人気」の大おかず(あったよね、小おかずと大おかず)は「麻婆豆腐」だった。子供向けだから辛くしちゃいけないと、ああいう変な味付けがされていたのか、少し酸味があった。「とろみ」が妙にかたまっていたり、美味しそうな茶色ではなく、濃い目のベージュ、にんじんは輪切り、主役の豆腐がかすっかすで「これは高野豆腐か?!」と思ったこともある。ちなみに、高野豆腐は大嫌いだった。

ちらっと。今は何でもGoogle検索できちゃうので、「小学校の名前+給食の献立」で調べてみると出てきた!我が母校の献立表ナウ→☆

見てびっくり!今でも「麻婆豆腐」あるやんっ!!うっわー。「かき玉汁」「うずらたまご入りはっぽうさい」!あったあったー!!40年前にも食べてたっ!美味しくなってるのかなぁ。

で。

炭水化物で不人気だったのは「二個取りパン」。必ずひとり二個ずつ。乾燥してぼっろぼろになるようなパン。「二個もいらんわ」とパン係に行っても「ひとり、2〜こ〜ず〜つ〜なんですぅ〜」と言いかえされたっけ。小さなパッケージのジャムかチョコクリームが付いてくるも、それは一人1パックずつ。なんでパンは2つなのにジャムはひとつなん???ってみんな言ってた。マーガリンとジャムのときもあったっけ。お得な感じがするのだけど、パンがぱさぱさすぎて、マーガリンを塗りつけるとパンがもろっとほぐれ、塗ったマーガリンとちいさな塊になったものだ。

この不人気のまずいパン、私はよく持ち帰って犬にあげた。2代目ゴンタ。外犬。ゴンタでさえも「ふんっ」という反応で、すぐには食べてくれず、日陰の角に穴を掘って埋めていた。うちは3人姉妹なので、3人から同じように不味いパンをもらうのだから、ゴンタもいい迷惑だっただろう。
食べない+持ち帰らない子もいるわけで。。。笑。 そういう子たちの机の奥、お道具箱の向こう側から、かちんこちんになった二個取りパンが転げ落ちることも珍しくなかったなー。

それから。昭和の給食風景というと、、、牛乳の飲めない子たち。本当に可愛そうだった。
嫌いだから、という理由で飲めないクラスメートが必ず一人はいた。先生は「最後まで飲みなさい。」と言い、そういう子たちは、生ぬるくなった牛乳瓶を目の前にしてずーっと机に座っていた。給食の後のお昼休み中も、その後の掃除時間も。掃除の音楽が流れ、みんなが掃除をする中で、牛乳瓶といっしょに机を前に動かされ、また牛乳瓶を持って元の位置に机を戻され。下校の時間まで頑張っても飲めなかった分は「頑張ったけど飲めなかった」ということで、自分で給食場まで返しに行き、給食のおばさんに「頑張ったけど飲めませんでした。ごめんなさい。」と謝らなければならなかった。
今同じことをしたら、親からガンガン苦情がくるよね。

今どきの給食は美味しい、って聞くこともある。不人気のパンよりも人気の「米飯」の日が増えたとか、ふりかけが付いてくるとか。食べれない・飲めないものを無理に押し付けられることもない。アレルギーのある子は、マイ弁当でもオッケーとか。

そんな昔のことを思い出すと、昭和の子どもたちはなんて良く頑張って、我慢をしてきたのだろう!と、昔の同世代の子どもたちに(?)エールを送りたくなる。

なーんて。少し懐かしい給食時間のことを思いだした。

*チューイの足

今日はようやく、ほぼびっこをひかずに歩けていた。最初の治療から一週間たち、抗生物質も今日で終わり。もう大丈夫かな。触るとまだ少し嫌がるけど、あと二日ほどすればスムーズに普通に歩くようになるかな。プリーズ〜。

行けなかった。

はい。そうなのです。昨日も一昨日も、今日も明日も、ビクトリアの家におります。

愚痴っぽい投稿になっちゃうので、流してくださいねー。

でも、聞いてっ!!!

お題のとおり。

旅には行けませんでした。

涙。

いやぁ。今回はかなりショックで立ち直るのに2日かかった。

簡単に言うと、天候不良のため目的地への便がキャンセルされたから

今回の小旅行は、バンクーバー島の北にあるTofinoで3泊の予定だった。はぁ。。。こうして今言葉にして書くのも、まだ辛い。

ビクトリアからトフィノに行く人たちは、大抵が6〜7時間車を走らせる。同じ島にあるんだもん、車で行きゃぁいいのだろうと思う。でも相方に運転させるのは怖いし本人も「無理」って言ってた。私もそんなに長時間運転したことがないし、トフィノの近くは細いうねうね道が続くそうで自信もない。ひとりでゆっくり行くなら話は別だろうけど、相方とチューイを連れて7時間も慣れない道を運転するというストレスに絶えれないと思った。

でも、トフィノに行きたいなー、みんなで行けたらいいなーってずっと思っていた。調べていたらビクトリアのハーバーからヘリジェットが飛んでいる!ということを見つけて、コレなら行けるかも!と。予定を組んだ。ヘリジェットはビクトリアからバンクーバー(リッチモンド)まで20分。そこで20分休憩して、そこからトフィノまで50分。実際に乗っている時間は1時間ちょっとだし、チューイもなんとか大丈夫だろう。ヘリジェットからの景色、特にバンクーバーからのインレット上空はきれいだろうな〜ってときめいていた。

出発当日の月曜日の朝、チューイと長めの散歩をしていてふと「霧が出てきた。。。」と、嫌な予感がした。

出発する半時間前にヘリジェットからメッセージがはいり、「今現在は予定通り運行ですがWeather Aleartが出ています」という連絡が入った。マジかよ。。。やめてくれ。。。

電話するも、もちろん繋がらず。タクシーでヘリジェットの乗り場まで行った。私たちの便は予定通り午後1時発だった。でも、シアトル行きやバンクーバーダウンタウン行きはキャンセルや遅延の知らせが出ていて、チェックインカウンターの辺りはかなり混み合っていた。

小さなスーツケースひとつを引きずり、チューイのクレートを担ぎ、チューイを引き連れ、相方はとにかく椅子に座らせ、、、もうこの時点で目が回りそうでした。チューイはそばにいるニンゲンみんなに尻尾振って飛びついてるし、クレートのドアがぱたぱた開き出すし。自分には手が4本あるんじゃないかと思うような技であれやこれやをさばいて、とりあえずチェックイン。カウンターのお姉さんが「トフィノへの便がバンクーバーから飛ぶかどうかは、バンクーバーに行ってみないとわかりません。もしキャンセルになったら、折返しの便が出ます。」と。。。

とりあえず行くか。。。

ビクトリアからバンクーバーまでは晴れてたのヨ。

私たちのヘリジェットの影が天使の輪の中に♪

クレートの練習をしていたけれど、本番では「いやだよいやだよ」とぐずったチューイ。オシリから無理やりクレートに押し込んで搭乗。笑。

笑ってるやん。後部座席の後ろに積まれた荷物にまぎれて。笑

まぁ。クレートに入ってからもしばらくはきゃいんきゃいん鳴いてた。乗っているひとたちに「すんませーん。始めてのことなので。。。」と謝る私たち。でも、ヘリジェットが離陸するとぴたっと泣き止んでこの通り↑↑ 見えるところにクレートを置いてもらえたのは良かった♡

なにせ小さなヘリジェット。大きな飛行機についているような「レーダー」がないんだって。だからパイロットは空路がきちんと見えないと飛べないんだそうです。

20分の上空で「あー、カミサマホトケさま、雲を吹き飛ばしてくださいませ。私たちを安全にトフィノまで連れてってくださいぃー」ってお願いしていた。

バンクーバーリッチモンドに着き、トフィノ行きのチェックインをするためにカウンターに行ったところで、もうわかった。私たちと同じ便に乗っていた若いカップルの落ち込んだ顔、カウンターのお姉さんの「申し訳無さそうな」顔。

誠に申し訳ありませんが、トフィノの天候不良のためキャンセルになりました。ビクトリアへの折り返し便は5時45分(4時間後かよっ!)です。。。とな。

若いカップルは新婚さんだったのかなー。ビクトリアを観光して、ヘリジェットでトフィノに行って、っていう予定だったみたい。彼のほうが「ビクトリアに送り返されても困るんだよっ。別便でトフィノにいくオプションはないのか?」と鼻息を荒くしていた。

私たちはもう帰るしかないということで、後回しにされまして。待っている間にトフィノのホテルに連絡し、行けなくなった事情を説明した。

宿泊まで24時間をきっているので、返金はされない。とのこと。ゼロよ、ゼロ。全てパー!3日分すべてっ!

鼻血出そうだった。。。 トフィノは僻地だから、ぎりぎりになってキャンセルされても別の客を迎えることはほぼ無理だから、、、責任取ってね、という理由。そういうことはキャンセルについての説明には書かれていたしわかっていたけれど、天候不良やでっ!私らのせいとちゃうやんっ!!!

もう、ショック過ぎて。残念な気持ち、ショック、悔しさ、憤り、疲れ、、、足元で笑いながらグイグイくんやってるチューイ、疲れた顔した相方(にスニッカーズバーを与える)。なんか泣きたいけど泣くに泣けない疲労感。

一本早い午後5時の便に空席がでたので、それでビクトリアに戻ってきた。

私たちは45分早くビクトリアに帰れたけど、、、私たちのスーツケースは間違って後の便に入れられまして。「すみません。。。明日とりに来てもらえますかね。。。」となっ!

家に戻り。なんか、色んな感情(ハッピーではない感情)が溢れてきて、誰かを責めたかったのだろう。相方を責めた。ごめん。何ヶ月も前からひとりであれこれ計画して、これなら相方でも大丈夫だろうかと準備してきただけに、なんか悲しくて悔しくって。

今回のこの「行けなかった旅」で学んだ・気付いたこと。

  • トラベルインシュアランス(旅行保険)には入っておこう。どんなに短い旅であっても。
  • 私はストレスに弱い。極度のストレスの元に置かれると自分のことで精一杯。人の世話はできなくなる。
  • トフィノにヘリジェットで行くのにはリスクがある
  • チューイはよく頑張った。ストレスを感じても笑っていてえらい。
  • タクシーのアプリは良い。正確にオンタイム。
  • パニックになったときには、ソフトな落ち着いた声で話すと自分も落ち着く
  • ひと・イヌを連れて旅するのは大変
  • 「こんなに私は頑張ったのに」って押し付けがましくなるのなら、最初からやるな(←私への教訓)

いやほんと、自分のキャパシティの小ささを思い知らされた。

ホテルはね、一歩譲って(?)一日ずらして3泊しに来ませんか?っていうオファーを出してくれた。でも、翌日、同じことをリピート・ワン・モア・タイム!する気力がわたしにはなかった。相方はもちろん「無理」って言ってたし、チューイにとってもかわいそう過ぎる。払い戻しは一切できないので、クレジットカード会社に問い合わせて「保険」の申請をすることをおすすめします、ってホテルのひとが提案したので、翌日その手続で銀行に行き、電話をし、オンラインであれこれ書類を送り。。。完了。いくらかでも戻ってくるといいけど、あまり期待はせずにいようと思う。

2日たち、ようやく気持ちが落ち着いてきた。とんぼ返りさせられたけれど、帰ってきて「ほっ」とできる家があるのはありがたいなぁ、と思えるようになった。あんなストレスを感じてクレートに押し込められてヘリジェットにのせられたというのに、チューイはケロっとしてその夜もご飯をしっかり食べて爆睡。翌日も、くらーーーい顔をしている私を見て「さんぽいこ。」と笑っていて。全く何事もなかったかのように。

それがえらいなぁ〜って感心した。イヌだから、なんだろうけれど、「ニンゲンってなんでこんなにややこしくて面倒くさいんだろ」とも思った。

チューイの可愛かったシーン。

家を出る3時間ほど前から、玄関脇に置いたクレートにはいってスタンバイ。笑

おいらもいくんでね。

とでも言わんばかりに。行く気満々、準備万端だったのでしたー。笑。

まぁ。トフィノは今回ではなかったのかな。また、いつか。仕切り直して行けたらいいな。

家族旅行

明日から数日間、家族旅行にいってきまーす。

相方とチューイとみんなで。

相方を外に連れ出して、いつもとは違う景色を見ることができたら、彼にとっても良い気分転換になるんじゃないかなと。もちろん、私にとっても初めての場所なので、良いリフレッシュになると思う!

チューイにとっては始めてのお泊り付きのお出かけ。

移動時には小さめのケネル(クレート)に入らなきゃいけないので、数ヶ月前から自分から入って落ち着けるように練習してきた。大丈夫かな。大丈夫よね!

相方の調子もあり、チューイも一緒ということで、私自身が心配やストレスに押しつぶされないで楽しめるギリギリのオプションを、と。この島の北の方に行ってきます。

数泊だけなんだけど、ipon と ipad は持参で。

お天気悪そうで、、、でもまぁ、それも良しかな。パシフィックノースウェストの独特の秋模様を楽しんできまっす☆