植物の知性、植物の知覚について研究する学術分野があって、学者がいる。
わー。
サイエンティストたちにないがしろにされそうな分野。
この植物の知性、知覚について書かれた記事を読んだ。
そもそも、そんなトピックについて検索してみたきっかけはというと、「彼女が触れると全て(草花ね)が枯れる」というような肩書きをお持ちの(?)Jちゃんが、インスタにアップしていたバジルの写真だった。息子さんがスーパーで買ってきた根っこ付きバジルを4つの鉢に植え替えて大きく育てることにしたんだって。その4つの鉢のうち、ひとつがJちゃんがいつも仕事をする場所の近くに置かれてたのね。それだけ。そこに置かれていただけで、条件としては他の3つの鉢とあまり変わりがなかったそうな。
なのに、Jちゃんのそばに置かれていたバジルの苗だけが、見事に枯れた。
ちょっと元気がないなー、ではなくて、誰がどう見ても思いっきり枯れたバジル。笑えるほど枯れてた。なんか、その一つだけ、ウルトラマンのビームを受けたような枯れ方。
いやぁ、びっくり感心するのと同時に、何故???って不思議すぎて。
「植物は、空気や光や水や土の栄養だけでなく、周りのエネルギーに影響を受ける」とか「ある種の音楽を聞かせると生き生きとする」なんて話は聞いたことがある。でも、4つのバジルのうちひとつだけが思いっきり枯れるって、不思議すぎる!「それでなんとはなしにググっていて見つけたNew Yorkersの記事が「Plants Intelligence」というもの。とても長い記事なので、全文を訳す気にはならないのだけど、初めて知ったこと、驚いたこと、興味深い!って感じた部分をほんの少し抜粋してみる。
この記事の中で何度も出てくる「Plant Nurobiology」。「植物の神経生物学」。これは日本語でWikiがあった。
植物の「神経生物学」は「植物がどのように状況を認識し、環境に反応し成長するか」など、生理学的研究に焦点を当てているが、植物の認知の研究では「競争相手を認識し、競争相手から離れるように成長するのか」など、主に生物化学的行動的/生態学的アプローチを適用している。(ウィキより)
この植物の神経生物学の先駆けになったのは、どうも一冊の本のようだ。1973年に出版され注目を浴びた「The Secret Life of Plants」。この中で、作者のTompkins さんとBirdさんは:植物たちは「感じる」ことができ、人々が言葉にしない思いにも遠く離れたところから答えることもできる、と言い放った。
植物の生理学的研究だけなら大きな論争にもならない。学者たちの間で大きな反論をもたらしているのが「植物の知性・認知能力」。Intelligence。知性がある・認知できるということは「脳」があって初めて起こりうることだ。植物に脳があるわけないだろ、バカバカしい、と、鼻から全く聞き入れない学者もたくさんいる。
でも興味深い実験・研究の例がたくさんあげられている。
例えば、生理反応を記録するポリグラフ機器(警察では嘘発見器っていわれたりするアレ)に観葉植物をつなぎ、CIAのポリグラファーBacksterさんがその植物が燃えてしまうことを思い浮かべたところ、器具の針が揺れた。レタスやオレンジ、バナナを器具に繋いで同じ実験をすると、ひとの想像すること(良い悪いどちらも)に反応を示したんだって。他にも、卵が割られる、生きたエビを熱湯に放り込むのを「見た」(その場に居合わせた)植物が「ストレス反応」を示したんだって。これらの結果から「植物は感じることができる!」と主張したBacksterさんのリサーチやThe Secret Life of Plants の中で主張されている植物の認知能力をもとに、2006年に「Plant neurobiology」っていう学術フィールドが発表されたそうな。
植物にはその置かれている環境の様々な要素を感じ、反応する能力があり、それは単に遺伝子学的・生物化学的な機能として説明しきれない、って。光、水、重力、温度、土壌の質、毒素、微生物、化学反応など、そういったものに反応するときに植物が示す「電気化学伝達システム」は他の生物の神経システムで見られるものと同一なんだって。植物がセラトニンやドーパミンを発することも見つかっているらしい。
植物たちは自ら移動することができない。だから必然的に、自分の必要なもの、自分を守る方法を知らなくちゃいけない。そのために、植物たちは「感覚」を備え持ってるって。嗅覚、味覚(空気中の化学物質に反応するっていう意味で)、視覚(光の波長を捉える)、触覚、聴覚も。
ある実験では、植物の根のそばにパイプを通し、その中に水を流したんだって。パイプの表面は乾いているのに、植物はそのパイプに向かって根を伸ばし続けたんだってー。中に流れる水の音が聴こえたかのように!
一番面白かった実験は、Mancuso先生のお豆の実験。
ツルを伸ばすお豆や野菜を育てたひとはいると思う。あれって、野菜は適当にツルを伸ばし、なにかに触れたところで「おっ!ここだ!」と巻き付いて成長していくと思ってた。でもMancuso先生の「お豆の実験」を見ていると、豆たちは支柱に触れる以前から、支柱のある場所を知っているかの様なのですっ。
植物は成長するときに「クリッキング」の音(カチッカチッ?かな)を発することもわかっていて、その音が支柱から跳ね返るのを感じてそちらの方に向かってツルを伸ばしているのではないか、ってMancuso先生が言ってるよ。
ビデオも見つけたので見てほしいですっ。
これを見ていて、私が一番感動したのは、ツルが支柱に触れた後の葉っぱの様子。先生もビデオの中で言っているように「とてもリラックスする」のです。葉っぱが。そして支柱にたどり着けなかった右の方の苗が、しょんぼりと力尽きていく様子。
これを見てね、Jちゃんのあの枯れたバジルを思い出してしまった。
あのバジルが成長に必要としていた要素を、Jちゃんより先に得ることができなかったのかなぁって。それとも、4つの鉢に分けられてしまったときに、今まで一緒だった兄弟(?)と離れ離れになったショックやストレスに耐えられなかったのかなぁとも。
うまく要点がまとめられなかったけど、この「植物の神経生物学」って面白いなぁと。植物たちはマイクロレベルで感覚を働かせて世界を見ている、生きているなぁって。(←なんてしょぼい結論!笑)
追記:昨夜、ぐわーーーっと思うことを書き連ねて力尽きてしまったんだけど、この記事を読んで私が何を思ったか・一番感動したのは、私たち生きものは原子のレベル(?)ではみんな同じでみんな繋がっているんだろうなぁっていうこと。それぞれのボリュームや地球に及ぼすインパクトは違っても、時間とか空間とか超えたところでみんな繋がってるんだろうなぁって。それって素敵なことだなぁって。昨今騒がれているAIなんかよりも、足元の草花たちのほうがずっと「Inteligent」なんだわって。
日本語でも興味深い記事があったので参考までに:
つい最近、わたしも似たようなことを知って(偶然見たテレビ番組)感動していたんです。
植物は、ただおとなしく生きているだけじゃなくて、たとえば虫にかじられると毒物質を出して抵抗し、そばにいる植物もそれをサポートするかのように毒物質を出し始めるそうです。「虫に齧られた!」みたいなメッセージを物質を発することでコミュニケーションをとっているのだとか。
菜園の中で自分だけが支配者みたいにならず、みんなに監視されている、くらいの謙虚さで作業しなきゃなと思いました。そのわりには未だ思いっきり殺生してますけど。
砂漠人さん、おはようございます。
ほほぅ。そんなテレビ番組があったのですねー。なんともタイムリーな!
私が読んだ記事にも似たような実験が紹介されていました。こういう類の話を聞くと、感動してしまいます。人間が開発した新しいテクノロジーについて知るよりも、心が動きますね~。
毎日、菜園の野菜や草花の世話をしてあげている砂漠人さんが放っている「物資」は、支配者の放つものではなくて、きっと「子を持つ母」のそれと同じですよー☆ みんな反応しています!
そういえば昔、光合成について習ったときにもすごく感動しました~。
先日見たドキュメンタリーの中でのお話。本物のトマトはガラスの容器で囲って、もう一つは香りだけで、その二つの間にトマトの天敵である蔓植物を植えたのね。(植物の名前は忘れましたー)そしたら香りがある方に向かったんだよ。と言うことは、人間や他の動物にあるような嗅覚はあるんだろうな。ただ、その形?が違うのかなーって。
それからよく言うのは、モーツァルトの音楽を聴かせるといいとか、ヘビメタだとダメだとかね。と言うことは、耳はないけれど、波長みたいなものはわかるのかな….とかね。
とても興味深いテーマだよね。
Sachieさん、おはよう!
へぇ~っ。同じ頃に同じ様なトピックの話をドキュメンタリーで見たっていう偶然にもびっくり(笑)
そうそう、私たちはものを説明するときに私たちが理解できる言葉で表現しなきゃいけないから、聴覚とか嗅覚とか感情、知性、とか言ってしまうでしょ。そこで反論を受けたりする。でも、Sachieさんが言うように「かたち」とか「複雑さのレベル」は違っても、「リスポンス・反応」は確かにそこにある、って思うんよねー。
一時期、水の結晶っていうのが話題にあがっていたけれど、あれもどんな言葉や音楽に水がどのように反応するか、みたいなのだったような。あれも、絶対に認めない反論者もたくさんいるよね。
植物に関しては、光や水や空気、栄養素なんかの条件が揃えばただ機械のように育つもの、とは言い切れない気がするなぁー。