あの日から3年。

3年前の今日、日本列島が大揺れし、あの津波が多くの命を飲み込み去っていったあのとき、私は日本上空を飛んでいた。何も知らずに、2週間の滞在中に何をしようかとわくわくしていた。関空に降り立って、久々に耳に入ってくる日本語でのランダムな会話を拾い集めて、何かがおかしいと気づいた。迎えに来た母の笑顔が笑顔になりきっていなかった。あの日から3年がたちました。

Row-Boat太平洋を漂流する瓦礫の様に行き場なく漂う恐怖と悲痛が、いつの日か落ち着ける場所を見つけ陽の温かさを心に感じることができますように。

 

「あの日から3年。」への8件のフィードバック

  1. アベノミクスとオリンピック招致に盛り上がる日本。
    その一方で3度目の3月11日を仮設住宅で身を寄せあう人たち。
    原発で明日の保証も無く安価な賃金で働く人たち。

    同じ国の出来事として受け入れられないよ、私。

    1. Sachieさん、いつもありがとう。
      そう。政治家に質問したら、「それぞれが全く別のことなんだから、比べること自体がそもそも間違っている」「オリンピックこそが被災地の復興に必要なんだ」って言い返されそうだね。海外にいると第三者の視点からの質問や、もっとオープンな情報を目にすることができるのかな。だからか、余計に、やるせない悲しい気持ちになるよ。アベノミクスってフレーズを聞くだけでムラムラとしてきます。昨夜も相方が「What the heck is WRONG with ABE?!」と憤慨しているのを聞いて、言葉に詰まったもん。あべさん一人じゃなくて、集団になって彼をサポートしている政治家たちが多すぎるっていうのもこわい。

  2. あれから3年もたったいまも、復興は遅々として進んでいない。
    きのうはNHKの特集番組でも、そのことが大きくクローズアップされていました。
    時間をかけて論議して欲しいことはスピーディにやるのに、早くやって欲しいことは口先だけで現実はブレーキばかり。
    政治家と役人を総入れ替えしたい気分です。
    ブルーのボート、ビクトリアは海を挟んで対岸なんだなぁ。

    1. asoboさん、こんにちわ!
      「政治家と役人の総入れ替え」をするには、革命が必要だね。
      日本は革命を起こさない(起こしたことがない)国だから。。。百姓一揆や土一揆はあったけどネ。
      汚染水のこともTEPCOから報告が出るのって、いつもそれが起こった数ヶ月後。日本だけの問題じゃないのに、よくそうやって公式の場で嘘がつけるよなって思う。先日、この島の北の海岸で大々的に日本から流れ着いた瓦礫を集めるドキュメンタリーがあったよ。日本人のグループがすごい量のごみを集めていてね、その中からはかなりの量の放射線が発見されたものもあったらしい。北米の西海岸に住む私たちにとっても、恐ろしい事態だよ。なのに、政治家たちは「アンダー・コントロール」って言ってのけるんだからね。やっぱり革命だよ。

  3. パプリカさん、あの日、日本に行ってたの?ホントに無事でよかったね。でも、ショックだったでしょう?大丈夫?
    ほんとに紙一重みたいなことがあると、怖くなるよね。うちの旦那さんが、この前ケニアにいたとき、人質立てこもり事件があったん。そのショッピングモールは外国のひとがよく行くところで、彼はいってなかったけど、もしも、、って考えると本当に怖かった。今もたくさんのひとが困ってるけど、メディアとかから忘れ去られて行かないことを祈ります。

    1. Kumasakiさん、こんにちわ~。
      そうなの。あの日の夕方に関空に着いたんだよ。怖いというより、気持ちがフリーズした感じだった。
      2週間滞在したんだけど、日本全体が悲しみに包まれていたよ。

      うそ。あのケニアのショッピングモールの立てこもり事件、覚えてるよ! 起きてもいないことを恐れてばかりもいられないけど、「もしも。。。」って考えてしまうよね。あり得ることだったんだもん。。。怖い。ほんとに紙一重だよね。
      旦那様になにもなくて、無事に帰ってこれて良かったよ!

  4. こんにちはー
    11日の午後2時46分は会社で黙祷しました
    茨城県は福島県の南隣接してますが
    まぁー直撃でしたよ、あの揺れが
    自分が生きてる間にこんな大きな地震を経験するとは
    全然思って居ませんでした
    …備えもなにも有ったもんじゃ無いですよ
    忘れちゃいけないんですが、思い出したくない…
    というかはっきり思いだせない(とほほ
    幸い、茨城県は復興自体は進んでいると思います
    ただ、風評被害は有りますね
    農家や畜産関係のお仕事の方達は大変だと思います
    papricaさんがこうしてブログで話題にしてくれている
    事は…変な言い方かな?なんか嬉しいです

    なかなか、立場が違うと意見や考えも違ってきてしまって
    私は先日、東電に対する恨み節みたいな意見を
    被災者で職を失ったり、住む場所を失ったりしてる
    方達のインタビューで聞いていた時ふと思ったのですが
    今、廃炉した原子炉から燃料棒を取り出す
    命がけの作業をしてる現場作業員が居るんだぜ!
    なんて思っちゃったりしたんですよね
    でも私は住む場所もあるし、命がけの作業もして無いし…
    なんか、凄く、私ってどうしたらよいのかなって思ったり(泣

    すみません、コメント欄なのに
    長々と書き込んでしまって…

    1. フォレさん、コメントどうもありがとう〜。
      怖かったよね。今でも少し揺れると、あの時のことを思い出すでしょう。
      そう。農家や畜産を営んでいるひとたち、続けていけない状況だもん。どこまで国の援助を受けることができるのか、「貴方達は直接の被害を受けたわけではないから」と断られるのか、とても気になります。海外にいると、きっと日本よりもいろんな視点からの質問や疑問を取り上げたドキュメンタリーを見ることができたり、ネットででも話題にのぼります。離れているから余計に心配になるのかもしれない。
      先日、日本の大学生たち70人くらいが、この島の北の海岸に打ち上げられている瓦礫を集めに来ていたよ。
      東電、と一言で言っても、東電の上役で現地に足を運びもしない人たちもいれば、東電に安い安い賃金で雇われて命をすり減らして作業している人たちもいるよね。ホームレスの人達がなんの保険や保証もなく働いているの? それを外に漏らしてはいけないという規約にはサインさせられるみたいだね。
      どうしたらいいのか、力不足を感じずにはいられないけれど、せめて現状から目をそむけてはいけないなって思います。