「つくりて」ゆいちゃん。

週の半ば、バンクーバーから弾丸トリップ、1泊2日でビクトリアに来てくれたゆいちゃん。

ロケーション良し。ここにお迎えに行った。

リモートワークの木曜の午前中は休みをとれたので、ほんの数時間、おしゃべりしてチューイの散歩に付き合ってもらった。

ゆいちゃんは「Tsukurite(つくりて)」という焼き菓子のお店の店長さん。店長さん+パテシエさん+会計さん+。。。お店の全部を総合してマネージメントしているひと。私が彼女のことを知ったのは、このブログを始めた最初の頃。なので10数年もの間、ブログと最近ではインスタで彼女の頑張りを見てきた。私よりも10歳ほど若い。本当に「まっすぐ」で「偽らないひと」「愉しむことが大好きなひと」だということは、会わなくても、彼女の文章やお菓子作りへの姿勢、彼女の周りのひとたちへの思いや感謝の気持ちをみているとわかる。

ロビーに出てくるところをパパラッチしたかったの。

そして、思った通りのゆいちゃんでしたー。

今年も、バンクーバーで今週末(連休)に開かれる台湾フェス(?って名前なのかな?)に参加する。オーガナイザーのひとりとして。
*調べたらコレだ!台湾Fest

いやぁ、こういう企画に「はーい!」ってのってしまうことがすごすぎる。だって、自分のお店、自分が全てを回しているお店が2軒もあるんだよ!なのに、太平洋のこちら側のフェスティバルのオーガナイザーをするために飛んでくるなんて。想像するだけでくらくらする。

そんなハードスケジュールの合間に、わざわざフェリーにのってビクトリアまで来てくれた。

本当に嬉しかった。

ずーーーーっと晴れていたのに、今日は朝からしとしと雨。でもまぁ、しっとりとしたビクトリアも見てもらえて良かった。うちに来てもらって遅めの朝ご飯を食べ、散歩に出かける頃には雨はやんだ。相方もチューイも「新しいひと」に会えたことが刺激的だったようで、嬉しそうだった。そう、新しい風が吹いたようで、そういうのって大事だなぁと気付いた。

おちゃらけチューイは通常運転。私たちが朝ご飯を食べようとテーブルにつくなり、ゆいちゃんの膝の上に飛び乗るの巻。庭で「スチック」を咥えて爆走してたし、散歩ではグイグイくん。「犬っていつもハッピーなの?」とゆいちゃん。ハッピーじゃない理由がないもんなぁ。

いつも画面の向こうにいたゆいちゃんが、自分のすぐとなりにいることがなんだか「こそばゆい」感じだった。笑。やっぱり会って話ができるのっていいね♪

お土産に、つくりての「すずめパイ」と「ナッツサンド」をいただいてしまった💛 このパッケージがこれまたカワユイ。

週末に、相方とチューイと一緒にいただきます。うふふんだわ〜。念願の「つくりて」のお菓子がここに!!

ほーーーーんと、遠いところまで会いに来てくれてありがとう。また次に会えるのを心から楽しみにしているよー!

夏日がもどってきた

庭はもうすっかり干からびてしまっている。

もう秋が来るなぁ〜と思いきや、ここ数日はまた27〜28度の最高気温。夏日再来。

そうは言っても、陽の光に夏の「揺るぎなさ」はもう見られない。写真を撮るとよくわかる。光の変化。

チューイは暑さに弱いので、気温が上る前の午前中に長い散歩にGo! 去年、散々な目にあった「のぎ(Spear grass)」があちこちで種をつけていて、今年も被害にあっている犬がたくさんいるらしい。なるべくそういう草むらを裂けて、なるべく影の多いコースを歩き、帰ってきてから裏庭のホースでざーーーっと体を洗ってあげた。

少し種を集めたりもした。欲しい人いるのかなぁと。

今年は↑↑のGaillardia(Blanket Flower・テンニンギク)がとても元気に咲いてくれて、この明るい色合いにたくさん元気をもらった。一年草と多年草があるらしくて、うちのコたちはどっちなんだろう。知らずに毎年引っこ抜いていて、こぼれ種が翌年芽を出していた。今年はそのまんまにしておこう。

今年の乾燥は去年よりも厳しいのか、私が水やりをサボりすぎたのか。シュウメイギクの花が小ぶりだ。

かわいいなぁ。君たちは。

りんごはものすごいです。きゅきゅきゅきゅきゅーーーっとくっついて実をつけている。

こうなる前にある程度の実を採ってしまったほうが良いんだろうけれど。毎年できないでいる。

私は近視・乱視・老眼で、裸眼でハッキリと見える範囲が随分限られている。コンタクトは目が乾いてしんどいので、もうずっとメガネオンリー。このメガネも遠近両用だけだと、コンピューターなどの中間距離がうまく見えない。一時帰国したときにオフィスメガネをひとつ作ろうと思う。

メガネを外すと視界に映るものはほとんどすべてがぼやけて見える。ときどき、そうやって「ぼやけた世界」を感じる。裏庭だったらどこに何があるかぐらいわかるので、メガネを外してみるとなんだか気持ちがいいのです。

からっからの草の上を、裸足になりメガネを外し歩く。もし、そういうことができるチャンスがあれば、試してみて!

裸足は気持ちいい。寝転ぶことができたらもっと気持ちいい。まぶたを通して光が温かくて、それも気持ちが良かった。

今夜は扇風機をかけて寝よう。

とりとめのない投稿の土曜日でした。

今、というとき

イタリアの小さな田舎町の様子を見ていて、相方と思い切ってローマの友だちのところに遊びに行ったことを思い出した。あのときに行っていて良かった。当時も呼吸器系の問題で私が願うほど自由にたくさん歩くことはできなかったし、私一人で散策に行ったりもした。それでも、友だち家族に連れてもらった田舎町や、ゆーーーっくりペースのローマやフィレンツェの散策は本当に楽しかった。
あんな風に一緒に旅ができたらどんなにいいだろう、彼もきっと喜ぶだろうなぁと思う。実際、今の状況を見ている限りでは、もう一緒に海外に行くことは無理だ。彼の体力も、私の心理的強さも、「どこでもドアがあって扉を開いたら目的地!」でない限りは無理だろう。

いつもいつもこんな風に「ちょっと寂しいなぁ。残念だなぁ」と感じているわけではない。ビクトリアはとても過ごしやすいし、ストレスを感じることなく毎日をおくれているのなら、そんな贅沢はない。ただ、時々、ネットやSNSを見ていて「こんなところに一緒に行けたら、彼も楽しいんだろうなぁ。」と思ってしまう。

そして、いつもいつも彼に対して優しい気持ちでいることも無理でして。
短期記憶障害があるので、同じことを何度も私に聞くことはしょっちゅうだ。特に何も思わずに聞かれるたびに答えることができることもあれば、昨日のように「あぁ、もうっいい加減にしてくれっっ!」とキレることもある。私がキレたところで何かが解決するわけでもないのに、キレずにはいられないときもあるのです。

でも、いつかは自分もおばあちゃんになる。身体が自由に動かなくなり、彼と同じように同じことをひとにたずねなければいけなくなるかもしれない。そのときに、聞いた相手に苛立たれたらどんなに辛いだろう。半時間前に聞いたことが全く記憶にない、っていう状態はどんなものなのだろうと想像することもある。当たり前だけれど、わざと忘れているでもなし、聞いたときにいい加減な気持ちで聞いて覚える・理解する気がなかったというわけでもない。ただ、スコンと抜けてしまうのだろう。
それがわかっていても、「ああもうっっ」と苛立ってしまう自分も嫌になる。

大切な友だちのひとりは、今、乳がんと戦っている。自分で「何かがおかしい」と気づいたのが1年前の初夏。すぐに検査をしてもらって治療を受けたかったけれど、家庭医はバケーション中、自分で病院にダイレクトに問い合わせても相手にしてもらえない、という夏が過ぎ、きちんと検査を受けたのは秋だった。それから化学治療、放射線治療、ようやく手術をしてもらえたのは今年の6月。
何度も電話で様子を聞くのも気が引けて、メッセージを送っては返信を待つ。

彼女との2年前の夏のことを思い出していた。私の昼休みに合わせてキャンパスに来てくれて、一緒に散歩をしてベンチに座り、いつも自分の持ってきた果物を「食べてみて」と分けてくれた。お互いの旦那のことを「まったく、男ってなんであんなふうなんだろね!水を飲めっていっても飲まないよね!」なんてことを言い合って笑っていた。本当になんでもない普通の日の散歩だ。そんな場面が、とてもきらきらと思い出される。

変わり映えのない日常の一場面が思い出される度に、今日という日のなんでもないこのときがとても幸せなんだろうと思う。何年か先に思い出すことがあったら、きっとキラキラしてみえるに違いない。

歳のせいなのか、ときの流れの速さに戸惑うからなのか、最近立ち止まるとよく「きっと今がきらきらなんだ」と呟くことが増えた。