介護をする立場で想うこと・感じること

今日は弱音を吐きます。長いです。
書き出すことで気持ちを整理し、大波も超えて今は大丈夫なのでご心配なく♪

気持ちがやられてしまうとき

優しくなれないときがつらい
赦せないときがつらい
大らかに受け入れられないときがつらい
そういう自分がしんどい。

もう嫌だと駄々をこねて全てを投げ出したくなる。きっと「介護」をする側にいるひとたちがみんな感じることなのだろう。

相方とは二周りの歳の差がある。自分の親とあまり変わりがない。なので、色々と出始めて当然の年齢だ。

相方の体のあちこちが悪くなり始めたのは、もう8年ほど前のこと。ミニストローク(小さな脳梗塞)から始まり、謎の突発性リュウマチ、ハートアタック(ステンツ3つ挿入の手術済み)、腎臓病の発病とそれに伴って帯状疱疹(治らない)。腎臓病も治るものではなく、定期的に点滴治療(透析ではなく、癌患者が受けるようなもの)を受けたり他の飲み薬で現状維持していけたら良い。慢性の痛みは表面的な帯状疱疹の痛みと関節のズキズキとした痛みの両方だ。おまけにCOPDという気管支系の症状もあって、健康なひとの5~6割の肺機能しかない。
こうして書き出すと、オーマイガー。。。という感じだ。

「してあげてる」という思いがある。子供の頃、「◯◯やってあげてる」って「あげてる」って思いながらするんやったら、せんほうが(しない方が)ましや!と母によく言われた。確かに、そこには一理ある。

そりゃぁね、「私がしたくてしている。私ができるのだからしているだけのこと」っていう思いでいつもいられるなら、それに越したことはない。でもいつもそうはいかない。にんげんだもの!

「やってもらって当たり前的態度」OR「(私がすること・してあげてることに)まったく注意を払わない」ことが目につき始めると、イラッとくるわけです。特に、私自身が疲れていたり、天気が悪すぎて気分が落ちていたり、更年期でとにかく目の前に現れるものに噛みつきたくなるときには、「ちょっと待て。なんで私がこんなに頑張り続けなあかんわけ??」となる。彼が普段と全く変わらない態度でいたとしても、「おい、こら、なんなんだよその態度。よくまぁ、そこまで怠惰でいられるよな。なんなんだよその口調。あんたは一体なんなんだよっっっっ!!!」と。目につき始めるともうそれしか見えなくなり、腹が立って仕方なくなる「ループ」に入ってしまう。「うううっ。あぁっっ」と声を出して痛みで体を固めている彼を見ても、痛い痛い・うーーんうーーーんという唸り声を聞いても、もう「気の毒だ」とも感じなくなる自分。実際に「長い呼吸をするなどして、唸るのをなんとかやめて欲しい。じゃないと私の気がおかしくなるから!」とぶつけたこともある。好きで痛みと暮らしているわけではない、一番辛いのは彼自身だ、ってことは頭でわかっていても「でもね、私だってね、ニンゲンだからね、おかしくなるんだよっ!ワタシノコト考えてちょっと我慢しろよ!」って思ってしまう。

それがまたしんどい。そういう薄情な自分がすごく嫌にもなる。

長い話になってしまうけれど、腎臓病が発病して入院したときの激しい治療の副作用とあれこれが重なり、彼の記憶にも大きく影響がでた。しばらくしたらもとに戻るだろうと期待していたのに戻らなかった。「短期記憶」が乏しい。何度か検査を受け、歳相応の脳の伸縮は見られるらしい。加えて、ミニストロークのときの影響もあると。大きく進行はしてはいない。でも、認知症の一歩手前というかそれの一種?かもしれない。「少し忘れっぽくなった」レベルではない。一緒にいる相手の記憶が薄れて弱くなってくる、というのは、実に悲しいことだ。話をしていても「同じページにいない」と感じたり、相手はすっかり忘れてしまった口論のことや一緒にそのときに決めたことを、わたしひとりだけが覚えていて一人で悶々としていたりする。悲しいよね?

加えて、慢性痛が始まってからは、何かをしたい・出かけたいという意欲も激減し、そうやって日常の暮らしの中での「小さなチャレンジ、計画」がなくなった。コレはよくない。そう。ひとは毎日何かしら「する」「しなければならない」ということがなくなると、記憶力も落ちるし考えることをしなくなる。はっきり言ってしまうと「馬鹿」になる。ときどき、冗談でとぼけてたフリをしてるのか?って聞きたくなることもある(聞くこともある)。

私はどうすればよいのか。どうしたいのか。何ができるのか。と自問する。
私は何を感じているのか。

渦の中にいるときには:
もう嫌だ。この状況、この自分の状態が嫌だ。どこかに出かけてしばらく自分と家を切り離すべきか。何をどうすりゃいいのかわからなすぎる。何がどうなったら感情が落ち着くのか、誰か教えてくれ。

と、もがく。周りのものをぶっ壊したくなることもあった。まだ壊していないけれど。

私の気持ちをわかってほしくて「なんでそんな風なわけ?残りの人生、それでいいの?もったいなくない?」って強く聞いたり、これ以上弱くなってほしくはないので、「ほら、エクササイズしよう、なんで自己的に頑張れないの??」とプッシュしてしまう。(何もせんあなたはソレでいいかもしれんけど、全く動けなくなってしんどい思いをするのは私なんだってこと、わかってるん?? わかってへんやろ、頭使って想像してみいや。頭使ってへんやろ?な??? というループ。)

ただひとつ上手になったのは、そしてソレはワタシ的には大きな進歩だと思っているのは、渦の中にいても一生懸命自分の気持ちを言葉で相手にぶつけるようになったこと。長い間、そういうことが苦手で我慢して片付けてきた。でも我慢はもうしなくなったので、それは進歩だ。

大波が過ぎて少し落ち着き、凪がやってきて始めて答えられるもの、見えてくるものがある。

私が「辛い」と感じるその根底にあるのは、「変わって欲しい。」という願いなのだろう。少しでも以前の彼(モチベーションや好奇心)を取り戻して欲しい。短期記憶が改善して欲しい。彼のこういうところが良いところだ、と改めて感じさせて欲しい。そして、私の苛立ちや怒りの裏側にあるのは、「不安」なのだ。

そうだ。自分の感情を見つめていたときにもうひとつ気付いたこと。苛立ちや腹立たしさや悲しさ、不安以外に、「(相方が)こんな状態になって情けない、恥ずかしい」とも感じている自分がいた。コレには少し驚いた。ブログにこんなワタクシゴトを書くのもな、、、とずっと思ってきた理由はソレかもしれない。

彼の状況(年齢、病状、痛み、メモリーロス)は、私が願う様には変わらないと思う。これまた認めるのが怖くて不安だけれど、悪化することは合っても良くはならないだろう。ネガティブに捉えているわけではない。そういう流れなんだろうなって。

だから、どうにかして、私自身の「見方・捉え方」を変えてやっていくしかない。今まで通り正面から体当たりし続けるのを見直さないと。

自分の気持ちをきちんと伝える努力(爆弾を落とすことになるだろうけれど)は続けながら、根底にある「期待」や「不安」は捨てていくしかない。こういうものなんだろうなぁと。

ま、そうは言っても、渦の中に飛び込むと、私はまた同じことを繰り返すのだろうけれど。。。

だってにんげんだもの!!

長く書いてしまった。幸い、日本の両親はなんとか二人でやってくれていて、頭もまだしゃんとしているし、妹二人が近くにいてくれるのはとても有り難い。親の介護と相方の介護では、また違った感情がついて回るのだろうと想う。

ひとつね、私はチューイの面倒をみることに関しては、一切「やってあげている」っていう想いがない。ゼロだ。そんな風に相方をサポートできたらと時々思う。この人は犬だ、老犬だ!って自分に思い込ませたらどんなに楽だろうか。笑。あはは。そういう〆??

頭突き【夢】

ほんっとうにどうでも良い話なのですが。

昨夜の夢は久しぶりにすっ飛んでいたので記録。

仕事で別の建物(校舎)の一室に書類を取りに行ったのです。書類のハズなのに、大きなペーパーロール状になっていた。A4サイズの紙がロール状になっている感じ。「変なの」と思いながらそのオフィスを見渡すと、すごく古いコンピューター(画面の大きさが15cmx25cm位)の前にボリュームたっぷりの髪をくるくるに巻いている女性がいた。「ヘロ〜」と言ってみたけれど、「それ、持ってって」と目で返事をしただけで、タイピングに戻った。「変なひとだ」と思った。

大きなペーパーロールを抱え、自分のオフィスの建物に向かって歩いていた。

すると。

前方から。

。。。

白い生きものが突進してきた。

何なんだっっ???

へ?????

なに?

なんなんっっっ???

しっっ。

白ヤギっっ!

赤い舌をべろべろさせながら、頭をゆすり、突進してくるのは間違いもなく、

白ヤギだった。

なんでーーーーーっっっっっ!!!

ペーパーロールのせいだ。と咄嗟に思い、ロールをボーリングの玉のように素早く転がした。私と白ヤギから見て「直角の方向へ」!

でもでも、その白ヤギはペーパーロールには見向きもせず、一心不乱に頭を突きつけ、私の方に向かってくる!

こういうとき、普通、ひとはどう反応するんだろう。

「逃げても勝ち目はない。あの角を後ろからぶすっとされるのはゴメンだ。こうなったらオデコにはオデコで勝負しかない。」

1,2秒のうちに私はそう思ったんだと思う。

気づいたら白ヤギに頭を向け、来るなら来いっ、石頭で勝負してやるわいっと構えた。

実際に。白ヤギの硬いオデコが私のオデコに当たった。

そして、ぐりぐりしてきた

私もぐりぐりぐりっと押し返した。

硬かったけれど、温かかった。

オデコの硬さとプッシュの強さよりもなによりも、「その舌をべろべろとさせるのをやめてくれ」と願っていた。

。。。。。。

後でわかったこと(どうやってわかったのかは覚えていないけれど)は、その白ヤギは、あのオフィスの女性があの古いコンピューターで作り出した「AI Goat」だったということ。

それを聞かされて、なんていう迷惑なことをするひとだ、でも最近のAIはリアルすぎる!、、、と、複雑な後味を感じていたのでした。

そんな夢でした。

 

言葉を交わすっていいな。ということ。

会話をするっていいなぁと思う。

私は大学で仕事をさせてもらっているので、20代〜60代の結構幅広い年齢層と話する機会がある。真剣に何かについて論議するということはない。ただ軽く挨拶を交わすだけだったり、なんでもないお喋りをしたり冗談を言って笑ったり。年齢の違いだけでなく、性別(男女、トランスジェンダー、ノンバイナリー、etc.)、生まれた国や文化の違いのあるひとたちと言葉を交わせるということは、恵まれていること。

一緒に仕事をする学生さんスタッフたちは、みんなかわいらしくてすごくいい子たちだ。お喋りな子もいれば、物静かでシャイな子もいるし、ちょっと乱雑な子もいれば、とても几帳面な子もいる。その子たちからしてみれば、私はみんなのお母さんよりも年上のおばちゃんだ。こんなおばちゃんなのに、みんな楽しくフレンドリーに話してくれて、本当にかわいい。

ひとりの女の子は、話し言葉の中に「What the heck!」というのが口癖っぽい。「ええぇ〜何なのそれ!?どーゆーこと?」というような意味合いで使ってるんだろう。彼女は彼氏がフィリピンからスーツケースに詰め込んで持ち帰ったマンゴを食べすぎて、救急に運ばれたことがある「what the heck! あははははっ」と話してくれた。あまりにも美味しくてジューシーで、急いで食べすぎて息ができなくなったんだって。笑える。

ひとりの男の子スタッフは、大学を卒業したら日本に行って勉強したいらしく、コツコツと日本語を勉強しているんだって。それで顔を合わせるたびに何かひとつ、私に日本語で話しかけてくる。昨日は「今日は朝ご飯を食べました。」というので、「何を食べたの?」と聞くと「ケーキを食べました。」って。笑。かわいい。

その子が、日本語にはたくさんの「オノマトペ」があってびっくりだ、って。その中でひとつ覚えたのが「ぶらぶら」だという。で、「じゃ、ぶらぶらをどうやって使うか言ってみて」と私が聞くと、「僕はぶらぶらとダウンタウンを散歩しました。」って。上出来! ついでに「ぶらぶら」は手足をぶらぶらさせるとも言えるし、よく似たのでは「ばらばら」「びりびり」「ぼろぼろ」があるよ、と教えてあげると「ひえぇーっ」って再度びっくりしていた。笑。

母国語が日本語で、豊富なオノマトペを自然に自由に使えて良かった。

ここの春の花壇、かわいい。

ブログをこうして続けている理由のひとつは、書かないと書けなくなるからだ。母国語だから、読んだり聞いたりして理解することはできるけれど、書くちからは使わないと衰えていくと思う。もともと語彙も表現力も豊かではないので、なんとか今のレベルを維持したい。

日本語の単語・言葉にはなんていうのか「口当たりの良いもの」がある。例えばうちの裏庭にあるヘーゼルナッツの木。和名は「はしばみ」。繰り返し言ってみても気持ちの良い単語だと思わない? はしばみ。この時期に咲き始める「馬酔木(あせび)」も。「こしらえる」とか「めばちこ」とか。声に出したときになんだか気持ちの良いことばってある。日本語にはそういうものがある、と思う。

話がそれたけれど。

昨日はキャンパスのカフェでコーヒーの支払いをするときに、カウンターのスタッフに挨拶代わりに「日が長くなって朝が気持ちいいね〜」と言うと、「本当ね!今週末はサマータイムに切り替わるわね!」という返事。「あー、その一時間進めるっていうの、やめてほしい。。。辛いわ〜」とぼやく私に、「え?なんで??私は夏時間に切り替わるの大好きよ!仕事が終わっても明るいわよ!夜を楽しめるわっ。」って。

へ??? 一時間失って、また朝が暗くなるやん。せっかく明るい中出勤できるようになったのに。と私。

ノープロブレムよ。冬時間になるときに一時間取り返せるじゃない!って。

あ、そっか、そういう風にも考えられるね!といって一緒に笑った。

なんでもない会話ができるって、そういう相手がいるのって、いいよね♪ ありがたいね、と思った日でした。