あっっっという間の15日間(日本では正味2週間)!
戻ってくると、ビクトリアはすっかり秋模様。秋のしっとり感。霧。どっさり落ち葉。蜘蛛の巣。
あんなにカラカラで茶色くなっていた庭も、すっかり緑を取り戻していた。2週間のうちに。
2週間前はまだ熟していなかったりんごたちも、いくつかは地面に落ちていた。
手にとってみると甘い香りがする。今年は(今年も?)雨が降らない夏だったので、味はどうなんだろう。チューイは落ちた実をかじって、放り投げて、家の中に持ち込んで爆走して遊んでいたらしい。今日もそんなことをしていた。笑。ぎゃうぎゃうも相変わらずで、何かを口にくわえて後ろからぎゃうぎゃうアタック(膝裏とお尻にパンチがはいる)してくれた。帰ってきたなぁ〜って実感する。笑。
一時帰国をしてこちらに戻ってくると、いつもしばらくのあいだ「変な気分」になる。
海外在住の人たちはみんなそんなふうに感じるのかもしれない。大きな印象はまた後でまとめるとして。。。
すごく変に感じるのは、帰り際の空港で家族にサヨナラをして(みんな泣くから私も泣く)から、一人で飛行機に乗り、カナダに降り立つ、この時間。
今回は両親+妹たちが見送りにきてくれた。バイバイをしてセキュリティーのドアを通り、みんながすっかり見えなくなったとき、自分の中のなにかがびりびり〜っと剥がされるような感じがする。少し気持ちが落ち着いてくると、もうあとはビクトリアの家に気持ちが向くんだけど、日本でもないカナダでもない、日本人の私でもない、カナダ風味の私でもない、中途半端なところに浮かんでいるような感じがする。
一体私はどちらの場所で「お里・at home」に感じるのだろうって、空の上で考えてみた。
久しぶりに日本に降り立つと、自分が妙に「浮いて」感じる。日本人は細くて小柄な人たちが多いからか、自分が大きくなったような、歩き方までもが「どかどか」としているような気がしてくる。で、なにより、聞こえてくるものが、なんの努力も切り替えもなしに「すぅ」っと「わかる」ことがとても嬉しい。力が抜けて、自分は浮いているけれどココは安全な場所、みたいな気持ちに切り替わる。浦島太郎でわからないことがあっても、聞けば大抵は親切に教えてくれるから大丈夫!という安心感。
昨日、カナダに降り立ったとき、空間が広々としたのを感じた。実際に広いのだけれど、実質的な「広さ」とは別のところでの「広さ」。うまくいえないけど、適当さや乱雑さや多様性(?)から生まれるスペース、言ってみれば「無駄な?使用されていない」スペースがあるからかな。日本はきっちりしているから。ひとも、行動も、ものの並び方さえも。
で、英語圏。気づかないところで少し力が入るんだと思う。
税関だったかな、日本で何してきた、カナダに住んでるのか、っておじさんに聞かれて答えたあと、おじさんが「Welcome home! You have a nice day, ◯◯◯(←私の名前)」って言ってくれたのを聞いて、うれしくなった。「ありがとう、おじさんの名前は?」って聞きたくなった(聞かなかったけど)。
集中して考えてみたけれど、今回も、やっぱりどちらが私の「里」なのか、「At Home 感」が強いのか、はっきりとわからない。
あ。ひとつ、はっきりとわかっているのは、私にはビクトリアの今住んでいるところくらいの自然が、最低「必要」だということ。これが足りていない環境に長くいると、多分、病気になると思う。笑。
時差ボケがひどい。日本に帰るときは、翌日からフル回転で活動できるのに、こちらに戻ってくるとひどい。今日も午後の2時位に強烈な睡魔に襲われた。そこで寝てはいかん!と、チューイと長い散歩に行き、庭にたまった落ち葉をかき集めて体を動かした。先週末かな、大雨と強風だったらしくて、かなりの落ち葉がたまっていた。簡易グリーンハウスは無事だった。ほっ。
日本にいた2週間が、まるごと「夢」のよう。本当に。浦島太郎がおじいさんになって浜辺に立ったときって、こんな気分だったんじゃないかと思う。なんていうのか、カナダと同じ時間軸?で「とき」が経過していたように思えない。不思議すぎる。
雨に打たれて傷みながらも、まだ咲いてくれている秋の花が少しある。
しっかりと美味しいものを食べて、たくさん笑い、十分にリチャージできたので。さぁ、また頑張ろう!
日本滞在中のコトは、ぼちぼちと、記録しまーす♪