ありがとう、Gus。

一月五日。Gusが天国に旅立ちました。

14歳と9ヶ月と1日。

とても穏やかに寝入って、そのまま逝ってしまった。きっと目を覚ましたら、よいしょよいしょって掛け声かけて虹の橋をわたっていくんだろうな。鮮やかな七色の光に包まれて、小鳥の声や他の動物たちの声も聞こえて、優しいゴン太が待っててくれる橋の向こうまで、よいしょよいしょって。

お正月明けから厳しい日が続いていて、足がふらふらで昨日・一昨日は立てないこともあった。一度倒れると自分では起き上がれなくてばたばたして。ぎこちない歩き方で壁や部屋の隅に突進していってそのままの状態だったり、という頻度があがってきていた。足が硬直していて自分でベッドにもはいれない。それでも私が家にいてそばで見ていてあげれるなら、そんな状態でもなんとか過ごせた。

出勤が始まった昨日の夜、Gusにさようならをするべきなんじゃないかと相方と涙で話し合った。辛かった。Gusの命の終わりを私たちが決めて良いのか。そんなことをしていいのか。それが正しいのかなんてわからない。でも、Gusの中にまだGusらしさが残るうちに、きちんとさよならを言いたい。もう、壁に頭をぶつけることもない、自由に解き放ってあげたい。その思いで決めました。

今日は大好きな海岸に一緒に行き、打ち上げられた海藻のにおいをかぎ、足に冷たい海水を感じたGus。抱き上げて「覚えてる?いい匂いやろー。」って声をかけると、私の目を見て鼻をぺろぺろとなめてくれた。

ついでに、パピーの頃から何度も駆け回った大好きな丘の上にも行った。ぐるりと平らな小道を歩き、とても良いウンチをころんとしスッキリして帰宅。

私が鳥のフィーダーに餌を入れるのに、一緒に庭に出て、少し土をほって匂わせてあげた。私がたんぽぽを抜くと、必ず寄ってきて土を臭って食べて口の周り真っ黒にしてたよね、Gus。

お昼過ぎ、私の焼いたビスコッティを細かく割ってあげると、ほぼ一本美味しそうに食べた。最近ヒットだったジャーキーは3本食べた。お水も自分でちゃんと飲めた。今日は良い日。

そして長いお昼寝。

獣医さんが来てくださった。彼女の顔を見るなり泣けてきて、こんなに調子が良いのに…って言うと、「ある意味、Good Dayにさよならができることは幸せですよ」と。

穏やかに眠るGusにいっぱいチューをして、心が張り裂けるほどごめんねと、ありがとうを言って、そのままGusは旅立ってしまった。

もっと、あと数週間でもいい、生きさせてあげればよかったのかと、正直、気持ちが悪くなるほど辛く思う。Gusはもっと生きたかったかなって。もう一度、ぎゅっと抱っこしてGusのにおいを嗅ぎたいのに、もうここにいない。自分たちでGusにとっての選択をって決めたというのに、Gusが去ってしまってすぐに間違ったことをしたんじゃないかと、そんなことをいっても手遅れなのに思ってしまって、ごめんねごめんねGusと、謝り続けてしまう。

発作の起こる2日前、丘から駆け下りたところで。

わたしたちの天使。

本当にかわいい子だった。なによりもかわいくて、美しい存在だった。

あふれるほどの笑いと喜びを届けてくれた。どんなときもすぐそばにいてくれた。私が涙を流せば、寄り添ってくれた。相方と私が笑って話をしていると、かならず間に入ってきた。かわいくてやさしいGus。

あぁ、もう一度、ぎゅぅっと抱きしめて、ほんのり甘い香りに鼻をうずめたいよぅ、Gus。

 

君は愛のかたまりだった。「愛しむ」ということを教えてくれた。

Gus、ありがとう。わたしたちの光。光そのものだったね。

いつかまた会おうね。

Gusのことを愛してくれたみなさんへ。どうもありがとうございます。