エレナ・フェランテのMy Brilliant Friend

とても久しぶりに夢中になって(英語の)本を読んだ。イタリアの作家「Elena Ferrante・エレナフェランテ」の「My Brilliant Friend」。残念ながらまだ邦訳は出ていません。が、英語訳版はペーパーバックキンドル版もあるみたいです♪

カナダに住むようになってずいぶんになるけれど、今でも本当に英語で本を読むのが遅い。読んでるうちに居眠ってしまうことも多い。軽く読めるパルプフィクションやそれなりに楽しい作品はあるのだけれど、こんな風にのめり込んで心を動かされたのは本当に久しぶり。

My Brilliant Friend

設定は1950年代のイタリア、ナポリ近郊の貧しいながらも活気のある小さな町。この町で生まれ育っていく二人の女の子たち、エレナとリラの友情をめぐる物語。…と、言ってしまうとなんともそっけなくつまらなく聞こえるのだけど。
全く性格の違う二人が小学校で出会い、どちらかというと真面目で引っ込み思案なエレナが、何故か自分とは全く違ったタイプの奇抜な問題児タイプのリラに惹かれる。凸凹な2人がお互いを試し競い合う中で築いていく信頼関係と友情が、とてもリアルに描かれている。まるで自分が小学生の・思春期のエレナやリラになってしまったかの様な気分になる。人々の日常の生活の基板であり、形作り色づけているのは、貧困と暴力、男性社会。生活の端々にそれが染み付いているという事実が、エレナとリラを通して生々しく描かれている。「My Brilliant Friend」は三部作の最初の一冊。16歳のリラが結婚をするところまで。ミステリーは、中年になったリラがある日突然姿を消してしまう、という最初の章にあり。2部、3部と読み進めていく中で、一体リラに何が起こったのか明らかになるのかな。

どうしてこの「My Brilliant Friend」にこれほど夢中になったのだろう。本って、読んでいる時の自分の年令や境遇や気分によって、受ける印象がずいぶんと違う。世間で話題になっていて素晴らしいと評されている作品でも、共感できいということも良くある。10代・20代に読め!と言われて読んで全く「わからなかった」作品が、今読みなおしてみてじわりと心に浸透したりすることもある。

子供だから見える世界や子供にしかわからない感情ってある。思春期に感じる独特の焦りや戸惑いも。フェランテさんの描写力に引き込まれ、ずいぶん昔に忘れてしまった感情が沸き上がってきた、からかもしれない。

面白いのはね、この作者「エレナ・フェランテ」さんは謎に包まれているのです。My Brilliant Friendが最近になって北米でずいぶんと注目されたわけなんだけど、コレまでにもたくさんの作品を出版されてきたのね。だけど、今までに一度も公に「姿を表していない」んだって。どこに住んでいてどいういう経歴があって、というのも謎。インタビューも姿を表すというものはなし。それで、フェランテさんのファンの間では、「実は男性なんじゃないか」とか「彼女は一体どんな家に住んでいるのかしら」なんていうゴシップでもちきりになったり。フェランテさんは「自分が匿名であることで創作活動における自由を守りたい。描かれている内容の中には、自分にとってまだ癒えない生傷が含まれているから。」というコメントもされているよ。第2部、相方がアマゾンでオーダーしてくれました♪

*おまけ:子供の視点*

5,6歳の子どもたちがファッションモデルのポーズを見ながら、一体何が起きているのか、モデルたちがどんな気持ちなのか、を説明しているビデオクリップ。すんごい可愛くて笑ってしまった。残念ながらこれも英語字幕のみです〜。

 

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「エレナ・フェランテのMy Brilliant Friend」への2件のフィードバック

  1. あら、これ面白そうですね~!
    誰か、翻訳してくれないものか。。。
    papricaさん、やってみては?笑

    読書って本当に不思議なんですよね。
    読む年齢や時期やタイミングで、読後感がまったく変わったり
    変わらないものもあったり。
    私の場合、子供の時に好きだったものを大人になって読み返しても
    嫌いにはなりませんが、違う視点で読んでる自分に気づくことは
    多々あります。
    あと、その作品を書いた時の作者の年齢がとっても気になる。
    自分と引き比べて暗澹とする・・・というか。←自虐的
    これは、私自身が「いつか本を書きたい」という思いを持ってる
    せいかもしれませんが。

    作者がプライベートを明らかにしていないのもいいですね。
    高校生の時、国語の授業で作者を調べてそこから作品を探る
    というような作業がありましたが、すごく違和感を覚えました。
    作者のプライバシーと作品と、いったいどんな関係があるのか?
    例えば作者の性的嗜好とか、置かれた立場とか、そういうのが
    わからなければ作品そのものが理解できないっていう考え方に
    強い違和感を覚えるなぁ。
    現在社会って、不用意に暴きすぎというか。知る必要もないことって
    絶対にあると思うんですよね。

    しかし、英語の本を読むのは根気が要りますね~!
    翻訳家の方に足向けて眠れません。笑

    1. 真木さん、おはようございまーす。
      とてもとても面白かったです。真木さん、是非英語で読んでみてくださいっ。表現はシンプルで簡潔だし、一文が短いのでテンポよく読めますよー。
      日本語力の乏しい私に翻訳なんてできるわけないじゃないですかっ!

      そうそう、ありますね、こどもの時に読んだものを今読むと、捉え方が全く変わっているっていうこと。例えば「二十四の瞳」なんて、子供の頃はすっかり12人の子どもたちと同じ気分でおなご先生を応援しながら読んでいたけれど、30代になってから読み返した時は「先生」気分だったなー。
      なるほど。作者の年齢かぁ。考えたこともなかったけれど、それって大きく影響しますよね。うん。
      真木さん、作家になる夢をもたれているのですね~。わ~! 歴史の中のエピソードをとりいれたミステリーとか? 書きためているまだ未発表のものなどあるのでしょうか。へ~、へ~、そのお話、もっと聞きたーい。

      作者の私生活や精神状態(?)まで探ろうとするのって、私もどうかな。。。って思います。書かれた作品について語る上で必須条件なのかな。
      北米で生活するようになってから気付いたんですけど、こっちの人たちってカウンセリングを受けたこと経験が多いせいか、そういう情報(こういう態度をとるひとの背景にはこういう家族背景があるはずだ。。。みたいな公式ができちゃってたり)が溢れているせいか、やたらすぐに精神分析しちゃうひとが多いなって思います。フェランテさんは自分の作品を一つの独立した作品として読者に感じ取ってほしいのでしょうね。出版社に出した時も「読み手・社会が必要としているものなら、自分があれこれアピールする必要なく、作品そのものが自然に世に出ていくと思うから。反響がなかったらボツにしてくれていいわ」っていう態度だったそうですよー。

      素敵な一冊(そして続きがある!)ですー。オススメ♪

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