谷川俊太郎さんが亡くなられたニュースを読み、しばらくぼぅっとしてしまった。
「あぁ、空に帰っていかれたんだなぁ」と思った。
図々しくも、谷川さんがいなくなっちゃったら淋しくなるなぁ、とも思ってしまった。
このブログの中でも、過去に3回(3偏)谷川さんの詩をシェアさせてもらった。時代を超え、老若男女、多くのひとの心にすとんと落ちてきた谷川さんの作品。わたしが谷川さんの詩に惹かれるのは、子どもでもわかるようなことばで、なんだかわかりそうで、わからなくて、でもわかるよ!っていう、ちょっと不思議な宇宙人的な印象さえ受ける言葉で書かれるから。
普通に生きていて、目に見えるものに振り回され、人に言われることなどを聞き、社会が良しという流れの中で当たり障りなく毎日を送っていると、すっかり忘れてしまう・見えなくなってしまう、なんていうのか、生きものとしての人間の自分。子どものころには見えていたのになぁ、というようなこととか。谷川さんは、そういう生きもの的なメッセージを言葉にしてくれた、と感じた。
谷川さんって、地面と宇宙とつながってるんじゃないか、って思うことも多かった。そう、詩だけを読んでいると、やっぱりちょっと宇宙人的。うまく言えないけれど。
日本人で、日本語で、谷川さんの詩を読むことができて良かった。
ありがとうございます、谷川俊太郎さん。
世界が私を愛してくれるので
谷川俊太郎 詩
世界が私を愛してくれるので
(むごい仕方でまた時に やさしい仕方で)
私はいつまでも孤りでいられる
私に始めてひとりのひとが 与えられた時にも
私はただ世界の物音ばかりを 聴いていた
私には単純な悲しみと喜びだけが 明らかだ
私はいつも世界のものだから
空に樹にひとに 私は自らを投げかける
やがて世界の豊かさそのものとなるために ……
私はひとを呼ぶ すると世界がふり向く
そして私がいなくなる
ほんとうに残念です。
わかりやすい平易な言葉を適切に操る事ができる稀な方だったと思います。作り物の言葉じゃないというか、身近でリアルな言葉が重なりあっている感じがしました。
tanuさん、おはようございます。
残念ですよね。今年は、自分にも大きな影響を与えてくれた昭和のアーティストさんたちが、何人か亡くなられて。とても淋しいです。
順送りなのだから、とわかっていても、谷川俊太郎さんはなんだかいつまでも生きていてくださるような気がしていました。
ほんとうに。「作りものの言葉じゃない」、どこにでもあって誰にでもわかる言葉と表現で書かれていました。自然の中の木々や草花、風や光というような、誰もが知っているここに在るものに似ていました。
だから、「映え」みたいなものがなく、そのまま浸透し広がっていくというか。 日本語って良いなって感じさせてくれました。
丁度、数日前に彼の詩を読んでいたところだったので、「逝ってしまったんだ….」と言う何だか不思議な感じです。
Sachieさん、こんばんは♪
数日前に谷川さんの作品を読んでいたところだったんだ。
「死ぬってこういう感じなのですね。思っていたよりもあっさりとしたものなのですねぇ。」とか言ってそう。
つい今朝この訃報を知ったばかり。言葉の深さ、楽しさを教えてくれた人でしたね。
Cecileさん、こんばんは♪
私は昨日、SNSでぽんと上がってきたのが目について、「え?え?え?」と戸惑いました。
Cecileさんのおっしゃるように、言葉の深さや愉しさ、日本語の良さを感じさせてくれたひとでした。ひとに何かを伝えたいときに、なにも難しい言葉を並べる必要はない、ということも教えてもらった気がします。
俊太郎さん亡くなっちゃったね。
個人的な知り合いでもなく、これから新しい詩を生み出すことがなかったとしても、ご存命でいてほしかったって思ってしまうのってなぜなんだろう。同じ世界にいてほしかったってことなのかなぁと自分に問いかけています。
Umiさん、こんばんは♪
100歳くらいまでは元気に、楽しいことを話しながら生きてくださるような気がしていたんよね。
谷川さんの作品はこれからもずっと残るわけだし、長生きされても私が会えるひとでもなかったのだけれど、でもそうそう、Umiさんの言うように、同じ世界にいてほしいひとだったって思う。だから寂しいのかな〜。