辞めることの容易さと難しさ

今日はどっぷり私事。書いてすっきりするカナと。

庭のポピー

先週金曜日に、今とっている大学のオンラインコースをドロップした。

去年の9月に始めた「Master of Educational Technology」の3つめのコース「Constructivist Strategies in E-learning」を辞めることにした。

ただひとつのコースを辞めてしまうことに、ずいぶん迷い悩んだ。話せば長くなるんだけど、短く言うと私が思っていたものとは違っていたから。

2つ目のコースでもがいている頃から「何か違うな」っていう気がしていた。

そもそもこのコースをとることに決めた理由は、100%オンラインであり「Educational Technology」っていうフィールドであることに惹かれたから。オンラインコースでありながらも、今現在のコンピューターのテクノロジーや数あるインターアクティブなプラットフォームを利用して、クラスメートやインストラクターとのつながりやコラボレーションができるのだろうと期待していた。そういう方法を学んでみたいと思ってました。実際、北米の大学のコースも驚くほどのスピードで「オンライン」か「ハイブリッド(オンライン+通常のインクラスコース)」に移る傾向にある。教授や生徒が「通常のクラス」を好む・好まないに関わらず、私の大学でも幾つかの学部が9月から100%オンライン授業になるそうです。

この傾向に加えて、モバイルディバイス(スマートフォンやラップトップ)を一人一台持っている世代が流れこんでいること+大学の予算削減(←大学は企業です)を見ていると、私の職場であるコンピューター施設が全く「かたち」を変えてしまうか「消えてしまうか」は、時間の問題だろう、と思い始めたわけです。

そうなったときのために、何かもう一つスキルがあったら、せめて今大学でおきている変化を「Educational Technology」の分野で一歩進んで理解することができたら、と思って始めたのが、このコースでした。

それが、思っていたのと違っていることに気づいてしまった。一度、目に付くと、それって、小さな「ほころび」のようで、いじっているとどんどん広がっていきました。

利用しているオンラインプラットフォーム(BlackBoardというもの)がとても「直線型」で「一方的」。つまり、セメスターごとのコースがリストアップされて、そこでシラバスや宿題、読みものリストが紹介される。一つのセクションは「ディスカッションフォーラム」で、そうそう「掲示板」みたいなものです。一週間に最低3つの「意味のある、興味深いコメント」を残し、クラスメートのコメントにもコメントを返すのも必須。その週の読みものを踏まえての議題に答えるのも、ディスカッションフォーラム。一日、このディスカッションを開けないでいると、他のクラスメートからの120程のコメントが溜まっていました。

私が「直線的で一方的」だと思ったのは、ただ与えられて、読んで、答えて、読んで、書いて…とうい作業を自分一人のペースでしていかなきゃならないから。そこに「先生」の「リーダー」としての存在は、ほぼゼロ。ビデオやチャットを利用したコラボレーションってものもゼロ。とても機械的で、無機質で、孤独な「Learning Experience」です。20年まえの通信教育とたいして変わってない。

3つ目のコースは「Constructivism」といって、今教育の場でとても注目されている「教育論」の一つでした。学ぶもの(生徒)一人ひとりのもつ学ぶ意欲と「力」で積極的に学んでいける環境をつくってあげること。上(教師)から下(生徒)の受身の学び方ではなく、教師は生徒の持っているものを引き出していくリーダー・ガイドである。。。。みたいなもの。このモデルをどうやってオンラインのコースで実践していくか。がコースのテーマ。

な、ハズなのに。読むものは全部「論理」、それも90年代後半に出版さもの。例えばね。

「Theory A or Theory B?」AかBかを論議し見極めることは、21世紀の意味ある教育カリキュラムを創り上げるのに必須だ。。。。ほにゃらほにゃらほにゃら。。。結論:おそらく、Aの要素とBの要素のどちらも存在しているのだろう。…

この 論文を読んだ後、頭を壁にぶつけたくなりました。こんなのばっっっっかしなんやもん。

学者が「ああでもないこうでもない、こうするべきだああするべきだ」と論じている論文を読んで、それに対して「私はああするべきだと思う、いやきっとこうあるべきだ」とディスカッションフォーラムで言い合って。そうこうしている一方で、実際の教育現場では使い方もわからないのに iPad が数十台購入され、生徒は一人一台 iPad を購入することが義務付けられ…

何も変わらんやん。学者が論じることを目的とした論文を書き、大学は起業化し、教授たちは混乱し、生徒はとりあえず学位をとり学生ローンにうなされる。

頑張ってコースを続ける理由がよくわからなくなりました。

辞めるか、辞めないか。

It’s easy to Quit って言う。確かに辞めることはたやすい。でも、やりかけたことを途中で放り投げる、ということを今までしなかったので、辞めるという決断は私にとっては難しくもあり。

疑問を持ちながららもやり遂げてこそ学べることがあるかもしれんやん。辞めどきを見極めることも、時には必要かもしれんやん。

と、葛藤し。相方に話したら、彼は「正直に言ってもいい? ボクもこのコースの課題になってる論文を読んできたけどさ、It’s All Bull-Shit」といった。「途中で辞めたりしない性格だってことはよくわかる。でもこれってキミがやりたいことじゃないやん。It’s NOT you. It’s OK to quit.」

で。ドロップしたのでした。

翌日の土曜日は、一日、妙にしんどかった。今まで肩に背負っていたものが、だだぁ〜っと流れ落ちてきたような疲れを感じて、昼寝もしたし夜も早くに布団に入った。相方も言ってたけど、多分、色んなことをプロセスしているのでしょう。大きく期待して、目標として頑張ろうと思っていたモノが、そうではなかったと認めたこと。それに体が反応しているんだと思う。心と体のつながりは不思議です。

さて、辞めちゃったので♪ 時間ができる♪ したいと思うこと、やっていて楽しいことをモリモリ頑張ろ〜。

読んでくださって、どうもありがとう!

庭のポピー

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“辞めることの容易さと難しさ” への12件の返信

  1. うまく言えないけど、とってもよくわかります。
    私は40代でコロラドで初めて大学の勉強を始め、
    バッチェラーは「意地でも!」的に終わらせましたが、
    その後も続けてはみたものの、ドロップアウトしました。
    自分のエネルギーがアウト状態になったのか、
    内容に納得がいかなかったからなのか、
    私の場合は未だにわかりません。
    たぶん私生活で大変なことに行き当たっていた時期で、
    あまりにもいっぱいいっぱいだったのが一番の理由かも。
    人に寄って理由はいろいろでしょうが、
    続かなかったことには続かなかった理由がちゃんとそれなりにあると思います。
    人ってなかなか変わらないものです。
    あんまり自分に合わないことはできないと思います。
    Papricaさんはこの機会に本当に楽しめること(庭仕事とか?)にもっともっとエネルギーを費やしたらいいと思いますよ。
    わけのわからないようなアドバイスですみません。

    • ボーダさん、温かいコメント、どうもありがとうございます。
      なんだか、ほっとしています。
      ボーダさんのブログの過去記事から、ボーダさんの冒険心に溢れた20代30代(?)について少し知りましたが、40代で大学の勉強を始められたとは知りませんでした。
      子供さんもいて、フルタイムの大学生活だったのでしょうか。ものすごい頑張りが必要でしたでしょう。
      私は今まで、やり始めたらやり遂げてきた、というかただとても頑固なだけなんですが、そういう性格なので、辞める決断には時間もかかってしまった。(そのせいで授業料が戻ってきそうにありませーん…)
      フィーリングで「これは違うな」ってわかっていても、頭できちんと理由付けできないと辞めれない自分もどうかと思いました。
      20代だったら、目をつぶって歯を食いしばって闘牛のように頑張ったと思います。
      1日たって、ま、こういう決断も良しとしよう、と思えました。
      そうですね〜♪ 庭仕事に精を出しますよーん!今日は元気が出たので、庭のりんごの木の毛虫の巣を切り落としました!
      これからもどうぞよろしくお願いしますね!

      • 私がフルタイムスチューデントだったときは、子供たちも高校から大学へと移動している時期でしたから、そんなに手はかからなかったんです。かけようと思えばいくらでもかけられたのでしょうが、あの頃の私は子供に対してかなり放任主義的になってしまっていたのでした・・・(反省)

        papricaさんのような、やり始めたらやり遂げるっていう方針は、
        すばらしいです。
        日本人の特徴でもあるのかしれませんが、
        ここアメリカ社会では、基本的にそういう人少ないみたいで、
        私の娘たち、そういう面で日本の影響があったおかげで、
        みんな、papricaさんのような「やり遂げる精神」が備わっているようです。
        でも、だからこそ、それでも止めようと思ったのなら、大きな理由があってのことだと思い、理解しようと思います。
        papricaさん、また庭の様子を知らせてくださいね〜

        • あはは。放任主義、それでも子供たちってタクマシク育つんですよね、きっと。
          そうそう!「長い目で見てこつこつと積み上げながら頑張る」のって、日本人のWork Ethic でもありますもんね〜。
          農耕民族特有ですよ♪ 北米人って、試してすぐに結果がでないとイライラしますもんね。
          今まで結構、見極めることができず、だらだらとやり続けてしまったこともありました。
          少々残念だけれど、すぱっと決めて方向転換するのも、ときには大切かな、って気もします。

          余分に時間ができたので、百姓タイムも十分とれそうです〜。とはいえ、今週もまた曇り、雨ばかりで寒い!!
          今日なんて最高気温が13〜14度!畑もノロノロです(涙)

  2. papricaさん、こんばんは。
    その後、すこし気分は楽になっているのでしょうか。
    やめるって、周りから見ると簡単なことかもしれないけれど、本人にとってはそうでもないですよね。大学時代、私も2回ほどクラスをドロップしたことがあります(コースではないのですが)。理由はいろいろなのでここでは書きませんが、すごく悩んだ結果でした。でもその結果、私は私なりに、そう決断してよかったなって思っています。(そのあと選んだクラスが結果的には自分には合っていたたと思うので)
    それからもうずーっと昔のことですが、いくつかやっていた習い事の中で、ものすごく真剣に取り組んでいたものがありました。そのお稽古ごとのために、学校もお友達と遊ぶ時間も、ゆっくりする時間も、食べたいものも、ほとんどすべて犠牲にしてきました。当時の私の中では、その世界がすべてだったんです。家族もいっしょに頑張ってくれました。
    でもあるとき、心の中でパチンと大きな音がしたんです。それは「不可能」ってことを、やっと自分が理解したからなんだと思います。それまで、心のどこかでは自分はその世界では生き抜いていけないってことに気付いていたんです。でもそれがすべてだったから、気付かないフリをしていたんですね〜きっと。
    そのお稽古ごとをそのまま続けるか、やめるか、とても悩みました。趣味でだったら続けていける、でもプロにはなれない。悩んで、最終的には、自分で決めてやめました。
    でもやめたら、自分を縛っていたものがふっと消えていく気もしました。気が抜けたんでしょうね。
    でも不思議なことに、その世界に未練はありません。いまでも見るのは好きですけどね(^^)
    一体どんな世界〜と思われるかもしれませんね。あはは、バレエです。日本でダンサーとして生き抜いていくには、100パーセントに近い「運」が必要だったということでしょうか。努力しても無理なこともあるんだと、子供ながらに理解しました。(周りの人にとっては、ただやめたっていうだけに思えたでしょうけれど)
    あー、ぜんぜんフォローになっていませんね・・・ごめんなさい。でも時間が経てば、きっとpaprikaさんも、自分の選択をこれでよかった、って受け入れられるようになると思います。すこしゆっくり自分のために時間を使って、楽しいことの計画をたててみたり、美味しいものを食べたり(それは私^^)、ご主人に甘えてみるのはどうでしょう〜。えへへ。
    長くなってしまってごめんなさい!

    • Colzaさん、とても丁寧なあたたかいコメント、どうもありがとう!
      そうでしたか。Colzaさんも大学でコースをドロップしたことがあるのですねぇ。私もバチェラーをとっている時に、合わないコースを何度かドロップしたことはあるんだけど、今回のはすごく期待して、気合を入れてはじめたものだっただけに「残念」な気持ちでいっぱいです。ま、仕方ないですよね。
      Colzaさんのお話を読みながら、「あ、バレーかな」と思いましたよ~。小さい時から始めたのでしょう?すべてを犠牲にして打ち込んできたものを、やめると決めるのにはずいぶん勇気がいったでしょう。
      Colzaさんにとってのバレーは「夢」につながっていたんですもんね。大きな決断だったことでしょう。
      でも、子供の頃にそうやって情熱をそそいだ何かがあるのって、その後の生き方をかたちづくる上でのしっかりとした基盤になったんだろうな、とも思います。

      Colzaさんのバレーとは比べものにならない「ドロップ」ですが、自分なりにすっきりしました。
      さーて、気持ちを切り替えて…と、次のプロジェクトを考えているところです☆
      どうもありがとう!

  3. いったん始めたものは、頭で納得できなきゃ辞められないってのはよくわかる。
    始めるときにフィーリングできめてたなら、そうでもないのかもしれないけれど、始めるときももちろんいろんなことを考えた結果だったわけだから余計にそうだと思う。
    性格的なこともあるだろうし。(長所であることはそのまま短所にもなりうるものね)
    でも、Bull-shitだったならやっぱりやめて正解だったと思うよ。
    もちろん内容はどうであれ終わらせることを目的としている人もなかにはいるのだろうと思うけれど、(それが納得できないような内容なら)それに時間を使いすぎるのはもったいないと思う。
    我慢してまでやることかどうかは、やってる人が決めることとはいえ。

    コースを始めるっていう決断には勇気とエネルギーが必要だったと思うし、コース自体も多大な時間とエネルギーを要するわけだし。
    コースが期待通りのものだったら、本当によかったのにとあたしも思う。

    辞めることはまったくもってかんたんなことではないです。

    あたしは(というかうちは…というかだれでも?笑)一番大事なのは時間だと思ってる。
    それに価値がないならやっぱりもったいない。
    だからこれ以上そのことに時間を割くことはなくなるわけだから、そこは大いに喜ぶべきだと思うのだよ。
    かわりにもっともっと素敵な時間を過ごせるわけだからね。

    楽しく上機嫌で過ごしてれば、またなにかに巡り会うこともさらにあると思う。
    今回のことをゆっくり消化したら、またいままで以上に元気が出てくるよ。

    • レモンさん、どうもありがとう〜。
      自分で一応納得いく理由をあげて決めたことだけど、本当によかったのかなっていう未練(?)も少々残っていたりする。
      なので、こうしてレモンさんや他のブロガーさんのコメントを読みながら、うまく言葉にならなかったことが解きほぐされていくようでありがたいです。
      「性格」もあるね。長所が短所になりうるっていうの、ほーーんと、その通りっ!よく言えば根性がある、んだけど、ひっくり返せば、あきらめが悪い、とかねぇ。
      そう、きっと20代だったらね、強行突破で突っ走ってたと思う。でも40間近になると、レモンさんの言うとおり「時間」の大切さの重みも違うんよねぇ。
      今回のトライアル(?)で、自分の「性」に合うコトと合わないコトが漠然とだけど浮き上がってきた気がする。
      そうだね♪ 楽しく上機嫌で過ごしていたら、自分に合ったモノの巡り会えるかもしれないね〜。そうやって考えると、わくわくしてきた〜(単純)。
      いつもどうもありがとね。感謝感謝です。

  4. 昨夜この記事を見たときは、すぐ思ったことを書けなかったけど、一晩たったらすっきりしたみたいでよかった。
    なにはともあれ、もやもやを抱えたままで続けてもいい結果は出せない。早く割り切ってよかったと思うな。
    ぼくは何事も好きか嫌いか、あうかあわないかで物事を判断する。
    迷ったときは、そういう基準でものごとを判断するのもいいと思うよ。

    • asoboさん、ありがとね。
      ほんと、asoboさんの言うとおり。好きか嫌いか、の単純なものさしが、結局自分にとって一番素直な答えを出してくれるね。
      もともと、頭で理屈を考えたりするのは得意ではないので、好きですか、嫌いですか?と問いただせばいいんだなって思った。
      とにかく、もやもやを箱にしまってスッキリしたので、次はどんなことをしようか、色々と思い巡らせてまーす♪

  5. 何かをやめる事って何かを始める事よりも以外と悩むと思う。でも、そんな時、相談出来る良い相方さんに恵まれている事って幸せなことだね♪ 何か旨く言えないけれど。

    • Sachieさん、どうもありがとう。
      そうだね、辞めることって始めることより難しいものなのかな(e.g. 離婚の難しさ>結婚の難しさ… 違うか。)
      うん。相方の「It’s OK」って言葉を耳にして、そっか。それでもいいか、って思えた。自分のことを分かってくれているヒトがすぐ側にいることって、幸せです。

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